めし 東宝(昭和26年 1951)
監督
 成瀬己喜男 

音楽
 早坂文雄

出演
 原節子
 杉村春子
 島崎雪子
 花井蘭子
 
 上原謙
 二本柳寛
 小林圭樹
 正直なところ、この映画を見ると自分も含めて多くの男は、”このような映画こそ、我がワイフに見せたい!”と思ったのではないだろうかと考えてしまう。そしてまた少なからぬ女性が、この映画の主人公に共感するのではないだろうか。

 原節子さん演じる岡本三千代は、周囲の反対を押しきって初之輔と数年前に東京で結婚し、初之輔(上原謙)の転勤に伴って大阪に移り、いまでは天神様のそばのささやかな横町で、誠実なサラリーマンの妻として、日々の生活に明け暮れていた。

 映画の冒頭、原作者の林芙美子の以下のような言葉が示される。

 無限な宇宙の廣さのなかに
 人間の哀れな営々とした
 いとなみが
 私はたまらなく好きなのだ。

 この映画は、まさにこの、”哀れな営々とした日々の営み”の中にこそ、人間の幸せがあることを語るのである。

 東京で結婚してから5年、大阪に転勤してから3年が過ぎている。初之輔は誠実に仕事に努めているが、三千代はこんなことを想い始めている。

 「・・・(結婚した)あの頃 私を支えていた希望や夢はどこに行ったのだろう。・・・昨日も今日も明日も・・・一年365日、同じような朝があり、同じような夜が来る。女の命はやがてそこにむなしく老い朽ちていくのだろうか。・・・」

 こんな日々を過ごしている岡本夫婦に、初之輔の姪の里子(島崎雪子)が家出して東京から突然やって来る。里子は、家出したことからもわかるように、自由奔放な性格で、初之輔に甘えたり、岡本夫妻が親しく付き合っている近所の谷家の一人息子の芳太郎と大阪の町を遊びまわったりしている。結婚生活に夢を失いかけ、里子の存在に耐えきれなくなった美千代は、遂に里子を連れて東京へと里帰りしてしまうのである。

 三千代は再び初之輔の許へは帰らぬつもりで、職業を探す気にもなっていた。しかし、戦争未亡人になって一人で子育てに苦労している旧友にあったり、従兄の竹中一夫(二本柳寛)からそれとなく箱根へさそわれたり、憐れまれたりすると、初之輔に対する想いが蘇り、手紙を書いたりもする。しかし、その手紙も出しそびれていると、初之輔が、出張にかこつけて美千代の実家に訪ねてくるのであった。

 この映画は、極めて淡々と「人間の営々としたいとなみ」と、そしてそれぞれの人間の思いが見事に描いているといえよう。

 この映画のクライマックスとでもいえるのは、初之輔が美千代を訪ねてきたとき、会うのを躊躇した美千代が、夏祭りの中で初之輔と再会し、平凡な食堂で二人でビールを飲みながら話して心が通い合う場面であろう。そう美千代は、このとき初之輔と再び生きていこうと決意したのである。

 最後に大阪に向かう列車の中で、仕事に疲れて眠ってしまう初之輔の隣で、美千代は初之輔に出そうとした手紙を破り捨て車窓から捨て、以下のようにつぶやくのである。

 『私の傍に夫がいる。目をつぶっている平凡な その横顔 生活の河に泳ぎ疲れて 漂って しかもなお闘って泳ぎ続けている一人の男 その男のそばに寄り添って その男と一緒に幸福を求めながら生きていくことが そのことが 私の本当の幸福なのかもしれない 幸福とは 女の幸福とはそんなものではないのだろうか』と。

 蓋し、成瀬監督の名作というべきであり、今の時代こそ、見直されるべき映画なのではないだろうか。

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