乱れる 東宝(昭和39年:1964)
監督
 成瀬巳喜男  

出演
 高峰秀子
 加山雄三
 予告編には「若者ありて ひたむきに 青春の慕情 ひとすじに」とある。この映画はまさにこの言葉に尽きるであろう。この映画の舞台は静岡県清水市である。清水市の森田酒屋の息子浩司(加山雄三)は、高峰秀子さん演ずる11歳も年上の今は未亡人となっている嫂(森田礼子)を心ひそかに慕っていて、そのためせっかく就職した会社も辞めて実家でぶらぶらした毎日を送っている。浩司は、この気持ちを決して口にすまいと思いっていたのだが、嫂との間に起きたちょっとした口喧嘩のときに、その心の内を打ち明けてしまう。

 しかし、当然のことながら嫂はその想いを受け入れることができないまま、一つ屋根の下で日々を送ることになる。この間の二人の心の揺れが、日常の様々な出来事の中で見事に表現されていくのだが、名匠成瀬巳喜男監督の演出と、それに応えた高峰秀子さんと加山雄三の演技には驚くほどである。この間に事態は変化し、森田礼子は生まれ故郷の青森に帰ることを決心し、加山雄三は半ば強引に送って行くことにする。清水市から青森までの長い列車のシーンは、多くの人が指摘しているように、まさに道行きである。この道行きの中で、礼子は次第に浩司に対して心を開いてゆき、目的の駅の一つ手前の駅で突然、「降りましょう」と言ってしまう。そして銀山温泉に至るのだが、ここで衝撃的な結末を迎えることになる。一夜明けた翌朝、温泉の湯気が立ち籠める温泉街を戸板に乗せられて運ばれる男の薬指に、礼子が前夜結びつけた紙縒りを発見した時の驚愕の表情は、映画史の中でも稀有なものであろう。

 筆者はこの表情に匹敵するものは、「ガス灯」のイングリット・バーグマンが、自分の夫が犯人であることに気づいたときの表情しか思い出すことができない。礼子は階段を駆け下り、戸板で運ばれる浩司を追いかけるのだが、遂に追いつくことなく立ちすくむところで映画は終了する。この最後の礼子の微妙な表情の意味することや、浩司の死が事故なのか自殺なのかについても、映画は何も語らないままに終わる。見終わった後の観客の心もまた”乱れた”ままなのである。

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