監督
山中貞雄
出演
河原崎長十郎
中村翫右衛門
霧立のぼる
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『人情紙風船』は、夭折した天才監督山中貞雄の遺作であり、日本映画のベストワンとも評される作品である。ネット上にもしばしば書かれているように、次のような有名な話が伝えられている。それは、この映画を完成した試写会の後に招集令状を受け取った山中貞雄が、「『人情紙風船』が山中貞雄の遺作ではちと寂しい」と言ったという話である。この言葉通りに、山中は中国に出征し、そこで戦病死してしまった。たぶん山中貞雄には、多くの撮りたい映画の構想・シナリオがあったのであろうが、それらが実現されることが叶わなくなってしまったのである。
この『人情紙風船』は、江戸時代の貧乏長屋が舞台となっている。元は髪結いで、今では自分で賭場を秘かに開いている新三(中村翫右衛門)や、自分の父が嘗て目をかけたらしい毛利三左衛門を頼りに仕官の口を探している海野又十郎(河原崎長十郎)とその妻などが住んでいた。毛利三左衛門は、海野又十郎の仕官の望みを聞こうともせず、自分の出世のために質屋白子屋の店主の娘お駒(霧立のぼる)を、自分の藩の家老の息子の嫁にしようとしていた。この質屋白子屋はヤクザの弥太五郎源七とその子分達を用心棒として使っていたのだが、新三は弥太五郎源七と賭場をめぐって対立し、睨まれ脅されていた。
海野又十郎は、妻の紙風船の内職によって糊口をしのぎながら、父が書き残してくれた書状を渡そうと何度も毛利三左衛門を訪ねるのだが、毛利はにべもなく受け取ってはくれないのであった。ある時などは、白子屋を訪ねた毛利を店で待っていて、弥太五郎の子分達に叩きのめされてしまい、その場に来合わせた新三に助けられる。そしてある雨のお祭りの晩、雨宿りをしているお駒を見掛けた新三は、日頃の鬱憤を晴らそうと決意し、ある行動を実行し、海野又十郎をそれに巻き込んでしまうのであった。
『人情紙風船』は、山中貞雄の28歳の作品なのであるが、この映画を見ると、山中貞雄が人や社会というものを透徹に、そして冷徹に、しかし愛情を持って見てるように思われるのである。例えば、映画はこの貧乏長屋の住人であった身寄りのない浪人の老侍の死で始まるのだが、新三たち長屋の住人はその供養のお通夜と称して大家に酒を出させ、ドンちゃん騒ぎをする。ここでは一人の人間の死が、それに関係のない人達の貧しい生活の鬱憤晴らしに利用されているのである。これがたぶん生活に追われて日々を生きる人間の在りようなのであろうし、真実なのであろう。
この映画は、海野又十郎とその妻、そして新三の死(映画では、明示的に表現されてはいない)という悲劇的な最後で終わるのだが、最近の映画のようにそれをことさら強調するような饒舌な場面は現れない。映画は、海野とその妻の死を大家に伝えに行く子供が落とした紙風船が風に吹かれてドブに流されてくる場面で終わる。多くの人が述べているように、このシーンは忘れ難いものであろう。
まことに人情とは、紙風船のように軽く、空しいものなのかも知れない。しかしそれだからこそ、残った長屋の住人達は、彼らの死にも拘わらず、時にはいざこざを起こしながらも日々を笑いさんざめきながら生きていけるのであろう。蓋し、必見の名作である。
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