土俵祭 大映(昭和19年公開)
監督
 丸根賛太郎

脚本
 黒澤明

撮影
 宮川一夫

出演
 片岡千恵蔵
 市川春代
 この映画『土俵祭』は、驚くべきことに大東亜戦争(太平洋戦争)の最中というよりは、敗戦の色が濃くなりかけた頃の1944年に製作されたものであるが、内容が戦争とはまったく離れた作品であることに、”こんな時に、こんな映画が作られたのか”と不思議な感じさえ持ってしまう。

 時は明治、相撲に対して旧時代の遺物として全廃せよとの声が強かった頃のことである。竜吉(片岡千恵蔵)は相撲取りになることを夢見て、西の小結の玉が崎を訪ねてやってくるのだが、ちょっとしたいざこざから、東の関取大綱のいる黒雲部屋に入門してしまう。しかし、大綱は、”相撲は勝ちさえすればいい”と言う考え方で、稽古一途の竜吉になにかと辛く当たるのであった。黒雲親方のお嬢さんのきよ(市川春代)は、こんな竜吉になにかと好意を寄せてくれ、また竜吉もそれを励みに稽古に精を出し、富士の山として番付にも載るのようになるのであった。

 大綱は、大関になってきよの婿になり部屋を継ぐつもりでいたため、富士の山に辛く当たり稽古さえつけてはくれないため、見かねた玉が崎が、富士の山を黒雲部屋から譲り受けるのである。そこで富士の山は、きよからもらった富士山の絵をお守りにして一心不乱に稽古に励み、番付を昇っていくのだが、玉が崎が足を負傷するという不運が襲うのである。そして、玉が崎の部屋を支えるまでになった富士の山は、遂に大綱との取り組みに挑むことになるのである。

 ところでこの映画の中では、相撲に対する考え方のようなものが何度か出てくる。一例を挙げると、黒雲親方が、富士の山との一番を前にした大綱に以下のように諭すのである。


黒雲親方;「・・・、相撲は勝ちさえすればいいという考え方は、今日限り捨ててもらいたい。」

大綱;   「ふー、俺はよくわかんねーね!」

黒雲親方;「お前は、なぜ素っ裸で土俵に上がるか考えてみたことがあるかい? 裸は清浄無垢だ。裸は無我無心だ。”勝ちゃいい、勝ちさえすりゃ”、それは芸人の根性だ! お前のそんな気持ちが、自分を下等なものにしていたことに気がついていたか? ・・・弟子達もお前の悪い気風に感化されていたとしたら、部屋のため、相撲道のために由々しいことだぜ。・・・。」

黒雲親方;「・・・明日は、富士も、力いっぱい、根限りぶつかってくるだろう。それをがっちり受け止めるお前も、清清しい心で戦ってくれ。裸と裸、男と男、魂と魂、土俵に生きる俺達だけが知る生きがいを、しみじみ味わってみないか。」

 富士の山と大綱の取り組みの前の日に、きよが富士の山を訪ねて来るのだが、それは富士の山への別れを告げるためであった。実は、富士の山が二人乗りの人力車に女と乗りこむのを見てしまって誤解したきよは関西に嫁ぐことを決意してしまっていたのである。誤解と知ったきよが、失意のあまり帰ろうとしたとき、富士の山が人力車を呼ぼうとするのだが、きよが言うのである。「私、二人乗りの車は嫌いだよ!」と。

 大綱との大一番に勝った富士の山に客席からは大きな声援が送られる。その歓声の中、きよは周りの観客に「日本一と呼んでやってください!」とお願いし、自分もまた涙をこらえ、想いをこめて「日本一!」と声援を送るのだった。

 この稿を書いている平成23年は、年初から角界の八百長疑惑問題でゆれている。多くの相撲取りに、『裸と裸、男と男、魂と魂、土俵に生きる俺達だけが知る生きがいを、しみじみ味わってみないか。』という言葉を贈りたいものである。なおこの映画は、脚本があの黒澤明、撮影が名手宮川一夫であることを付言しておきたい。

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