家光と彦左と一心太助 東映(昭和36年:1961) | ||
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監督 沢島 忠 脚本 小国英雄 出演 中村錦之助 進藤英太郎 中村嘉葎雄 薄田研二 北沢典子 山形勲 桜町弘子 |
この映画『一心太助 家光と彦左と一心太助』は、とにかく面白く、”抱腹絶倒”という言葉がぴったりする映画である。しかしそれだけではなく、兄弟愛、主従愛、夫婦愛、江戸庶民の一緒に暮らす仲間を思う気持ち(隣人愛というべきもの?)いったものが映画のそこかしこにちりばめられ、それに観客は心打たれ思わず涙してしまうのである。いわゆる、”笑いあり、涙あり”
とか、”笑いと涙の”とかいう形容は、この映画にこそ相応しいが、特に笑いの点では、中村錦之助という役者の絶品ともいえる天才的な演技と、それを引き出した沢島忠監督の力量によるところが大きいであろう。 映画のおおよそのストーリーは、以下のようなものである。 徳川二代将軍秀忠の治世の時である。大久保彦左衛門の働きによって、家光(中村錦之助)は既に三代将軍となることが決まっていた。しかし家光の腹違いの弟である忠長(中村嘉葎雄)を三代将軍に据えようとする陰謀が、忠長の生母の北の方、本多上野介(薄田研二)、酒井阿波守らによって企てられ、家光を亡き者にしようとしていたのである。そしてこの陰謀を察した大久保彦左衛門(進藤英太郎)と柳生但馬守は、家光と太助が瓜二つであることに気付いて、家光の反対を押し切って太助を家光の身代わりにしてしまうのである。 こうして、太助が家光として江戸城に入り、家光が太助となって魚河岸で働くことになるのである。しかしそこはそれ、姿形は変わっても、生来持って生まれ、身につけたものは簡単には変えようもなく、家光となった太助はあくまで太助であり、太助となった家光もあくまでも家光の地が出てしまうのである。そしてこれを隠すため考え出されたのが、二人とも「病気で脳に変調をきたした」ということにして、周囲を納得させてしまうのである。特に太助となった家光は「殿様病」なるものに罹ったということになるのだが、この辺りから、映画は大爆笑の渦となっていくのである。 一方、忠長自身は、兄の家光を心から慕っていて将軍になろうなどという魂胆は微塵も持っていないばかりか、実母である北の方の陰謀を表沙汰にすることができずに、密かに悩み苦しんでいたのである。忠長は、本多達が家光を殺そうとする企みを自ら阻止していたが、ある時、意を決して、家光に成りすましていた太助に自分の苦衷を打ち明けるのであった。この忠長の訴えに心動かされた太助は、自分が身代わりとなっていることを忠長に打ち明け、忠長を大久保彦左衛門の屋敷に連れだし、家光と忠長を引き合わせるのである。こうして、家光と忠長はお互いの気持ちを理解しあうのであった。 そしてまさにその時、家光と太助が入れ替わっていることや自分たちの陰謀が露見し始めたことを知った酒井阿波守達が家光を亡き者とするために、大久保彦左衛門の屋敷を襲って来たのである。そしてさらに太助の危急を助けるために、太助の恋女房のお仲(北沢典子さん)に率いられた長屋や魚河岸の人々も駆けつけ、ご存知東映時代劇の大チャンバラが画面いっぱいに始まり、ついに悪人一味が倒されて、めでたしめでたしの大団円となるのである。 この映画に限らず、なにかの面白さを伝えることは極めて難しいが、”百聞は一見にしかず”ということは、まさにこういう映画を言うのであろとさえ思えるほどである。とにかく面白いのであるが、この面白さは、小国英雄の脚本は勿論であるが、中村錦之助という稀代の役者の演技力に負うところが大きいであろう。 日本人の笑いの質がどのように変化してきたのかについてはよくわからないが、コント55号以降のような笑い(正直、どこが面白いのか理解できなかったのだが)と、この映画の面白さは、質的に異なってるいと思われるのである。この映画では、家光となった太助も、太助となった家光も、共に自分の役わりを真剣に必死に演じようとしているのだが、身についたものとの相違があまりにも大きく異なっているために、どうしても行動に「ズレ」とでも言うものが生じてしまい、このズレが我々に心底からの笑いを誘ってくれるのである。 この映画では、兄弟愛や主従愛、夫婦愛(わが身を振り返ってみても、望んでも得られぬ実にうらやましいものである)、そして隣人愛といったものがよく表現されていると前述したが、ここでは兄弟愛がどのように表現されているかについて例をあげてみよう。 この映画では、実の兄弟(中村錦之助と中村嘉葎雄)が家光と忠長の兄弟を演じている。脚本のうまさというべきであろうが、映画にはもう一組の幼い兄弟が出てくるのである。それは、太助の長屋の近所に住む巳之吉と、巳之吉の父の後妻の連れ子の次郎松という兄弟である。この巳之吉の父と後妻は、連れ子の次郎松ばかりをかわいがり、巳之吉を疎んじ、いじめていたのである。しかしある日のことである。巳之吉が数人の子供たちに取り囲まれて小突き回されていたときである。次郎松は、兄を助けるためにけなげにもいじめていた子供達に立ち向かっていき、そのため着物が破られてしまうのだが、そんな次郎松を巳之吉が優しくいたわるのであった。 そして、この兄弟の姿をじっと見つめていた家光は、自分たち兄弟の幼い頃の姿(映画の前半において、大久保彦左衛門が幼い頃の家光と忠長に将来の心構えを説いて聞かせる場面が描写されている)を重ね合わせ、互いに反目する運命となってしまった自分たちの境遇に想いをめぐらせるのであった。このように、二組の兄弟を登場させることによって、実に見事に兄弟愛が表現されているのである。 いずれにしろこの映画では、魚河岸や長屋を舞台として江戸庶民の生活もいきいきと描かれ、鑑賞後にさわやかな気分に浸ることができる娯楽時代劇映画の傑作であろう。この映画は下記のようにVHSテープでは市販されていたが、残念ながらDVD化されていないのである。この映画を始めとして、中村錦之助の他の一心太助の作品群のDVD化を東映に是非とも望みたいものである。 以下に他の方の感想があります。 ![]() ![]() ![]() |
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