監督
小津安二郎
撮影
中井朝一
音楽
黛敏郎
出演
原節子
中村雁治朗
司葉子
小林圭樹
新玉三千代
加藤大介
森繁久弥
笠知衆 |
小津安二郎監督は、この作品『小早川(こはやかわ)の秋』を撮った後に、遺作となった『秋刀魚の味』を作り、1963年に60歳で誕生日と同じ12月12日に亡くなった。小津監督の墓石には、ただ一字「無」という文字が刻まれていることで知られている。この墓石のことを知ったとき、”自分も「虚」という一文字にするかな”と、周囲に話したら、小津監督だから良いので、凡人が同じようなことをしても様にならないと、一笑に付されたものである。
この映画は、京都の近くで小さな造り酒屋を代々営んできた小早川(こはやかわ)家の晩夏あるいは初秋の短い期間の物語である。タイトルの中の「秋」は、たぶん季節の秋ではなく、小さな造り酒屋が、時代の流れの中で経営が難しくなり、大手の造り酒屋に吸収されるつつあるということを意味しているのであろう。
映画は、いまは隠居している小早川家の小早川万兵衛(中村雁治郎)を中心に、万兵衛の死んだ長男の嫁の秋子(原節子さん)の再婚話、次女の紀子(司葉子さん)の結婚話、そして経営危機におちいりかけている造り酒屋の経営などが描かれるが、これらの話も特に念入りに描かれているわけではない。描かれているいるのは、自由奔放に生きたであろう万兵衛の人生である。なお、日本映画に咲いた大輪の花の原節子さんは、この映画出演を最後に映画界から去ってしまい、今では鎌倉に静かに暮らされているとのことである
妻に先立たれた万兵衛は、嘗て愛人だった佐々木つね(浪花千栄子さん)と競輪の帰りに偶然再会し、そしてよりを戻し、それからは何かとつねのところに通っていた。そんな万兵衛を長女の文子(新玉三千代さん)は何かと非難していたのだが、万兵衛はさらさら聞く耳を持たなかった。そんな万兵衛であったが、妻の法事の日の夜に急に倒れてしまった。ところが万兵衛は何事も無かったかのように回復し、そしてまたつねのもとに通うのだが、そこで今度は本当に、「・・・これで終いか…」という最後の言葉を残してぽっくり逝ってしまうのである。そして映画は、この万兵衛の葬儀が描かれて終わるのである。
万兵衛の行動や振る舞い、文子や他の人々とのやり取りは、実に面白く描かれているため、映画評論家として有名な佐藤忠男は、その著書「日本映画300」(朝日文庫)の中で、「ほとんど明朗な喜劇といっていいような調子の作品」とこの映画を評している。確かに、この映画からは可笑しみを感じるところが多々あるが、それだけの映画ではなく、この映画を見て一番感じるのは、むしろ人生に対する絶対的な無常観のようなものなのであり、単なる喜劇のようという評には納得できないのである。
道楽の限りを尽くし、元気で死ぬ気配さえ全く無いように見えた万兵衛が、いともあっさり、ぽっくりと行ってしまうのであり、これこそ正に人生の無常そのものであろう。映画は、万兵衛の葬儀についてかなりの時間をかけて描いている。そして火葬の後で、近親者達が列をなして橋を渡る場面で終わるのだが、この川は三途の川のようであり、まるで彼岸から此岸に戻ることを意味しているように思われるのである。
そしてこうして戻る此岸、即ち現実の生活において、小早川家の人達は、これからどんな人生を送るのだろうかと思ってしまうのである。秋子はたぶん、実際の原節子さんがそうであったように、再婚せずに自分の人生を独り凛として送るのであろうし、紀子は自分の意思で札幌の恋人のところに嫁いでいくのであろう。そして万兵衛が残した造り酒屋の経営者や従業員は、大手の企業に中に吸収されて、生活を続けていくのだろう。それぞれの人が、それぞれの人生を生きて、そして万兵衛のように死を迎えるが、映画の最後で唐突に登場する笠知衆が語るように、「死んでも死んでもあとからせんぐりせんぐり生まれてくる」人によって、同じような生と死が繰り返されていくのであろう。
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