憎いあンちくしょう 日活(昭和37年:1962)
監督
 蔵原惟繕

脚本
 山田信夫

音楽
 黛敏朗

出演
 石原裕次郎
 浅丘ルリ子
 芦川いずみ
 長門裕之
 この映画『憎いあンちくしょう』を見たのは小さかった頃で、全くの田舎育ちの身には、都会の生活や、二人乗りのジャガーの格好よさに憧れたものである。この作品は、石原裕次郎主演の多数の映画を作り、後に『南極物語』を監督した蔵原監督の才気溢れる傑作であり、”愛”なるもについてよく分からないものの、何かを語っているようだと子供心に思ったことを記憶している。

 映画は、マスコミの寵児として分刻みで仕事をしなければならない北大作(石原裕次郎)の生活ぶりから始まる。大作には、マネージャの浅丘ルリ子さん演ずる榊田典子(電話で、自分のことをサカキダノリコと言っているの)がいて、二人は2年前(正確には、730日前)から恋人関係であるが、”新鮮で、美しい愛を保つ”(作中のセリフ)ため、男女の関係を持たないこととしているのである。しかしこの二人の間は、何が原因か明確ではないが、倦怠感と、自分達の愛に対する不信が芽生えはじめていた。

 北大作が持っているレギュラー番組のひとつに「今日の三行広告から」というのがあり、そのため新聞の三行広告をチェックしていると、「ヒューマニズムを理解できるドライバーを求む。中古ジープを九州まで連んでもらいたし。但し無報酬」という奇妙な三行広告を見つけるのである。広告主は井川美子(芦川いずみさん)という女性であった。興味をもった大作は、この広告を自分の番組で取り上げるのだが、ジープを運ぶ目的は、美子の恋人の医師小坂敏夫が、九州の無医村地区に住んでいて、診療のためにジープが必要ということなのであった。そして、二人は二年も離れて生活しているのだが、手紙のやり取りだけで、今なお二人の間には愛が続いているというのである。そして、美子がTVを通して、誰か、ジープを運んで下さいと訴えるを聞いていた大作が、突然こういうのだ。”僕が運びます! 僕に運ばせてください。しかし、あなた達のためにやるんじゃない。僕のためにやるんだ。あなた達の純粋愛を確かめたい”と。

 こうして大作は、マネージャの典子が必死で止めるのも聞かず、全てのスケジュールを投げ出して、九州に向けて中古のジープに乗って出発するのである。そして、典子もジャガーで大作を追いかけ、さらにまた、「今日の三行広告から」の担当ディレクターの一郎(長門裕之)は、大作の行動に困惑するものの、直ぐに大作の行動をリアルタイムのドキュメントとする番組制作を思いつき、彼もまた、テレビスタッフを引き連れて大作を追いかけるのであった。

 こうして、大作、典子、一郎たちTVスタッフの九州への旅が始まる。典子は、様々な方法で大作に九州行きを思い止まらせようとする。京都まで来たときには、大作に替わってジープを運転して九州に届けさせるための若者を雇ったりするが、大作の決意を翻させることはできなかった。そして一郎は、大作のドキュメントを放送し続けたのだが、京都まで追いかけたところで、このドキュメンタリー番組が局長賞を受賞したとの報告を受けると、放送を打ち切ってしまう。

 マネージャとして全てを失いかけた典子は、自殺しようとするが大作に止められてそれも失敗し、自分には大作しかいないことに気づいて、再びジャガーを駆って大作の後を追いかけるのである。そして、宇高船のフェリーを利用した大作を、一度は見失ったりするものの、大作のジープと、それを付かず離れず追うかける典子のジャガーの二人の旅が続くのである。二台の車は、広島を過ぎ、関門トンネルを抜け、福岡市街に入ると、そこで行われていた山笠祭りの中に紛れ込んでしまい、混乱の中に典子は巻き込まれてしまう。その混乱から大作によって救われた典子は、大作に訴える。「私をつれてって。貴方を知りたいのよ!」

 こうして二人の旅は続いていく。そして、狭い洞門を抜け、断崖絶壁のぬかるんだ道を行く途中でジャガーを谷底に失う危険を冒して、二人のジープはついに目的の洗川村に到着するのであった。しかしそこには既に、一郎に連れられた井川美子もまた待っていたのである。一郎は、美子と敏夫との再会、そして大作によるジープの到着というシーンの感動的な場面を作ろうとしていたのである。そんな一郎をよそに、大作は、美子と敏夫に言う。「二人で始めるんだ。愛は言葉じゃない!」と。そしてその場を後にした大作と典子は、阿蘇の空の下の大地で、二人の愛の再生を確信するのであった。

 以上が、映画『憎いあンちくしょう』のおおよそのストーリーであるが、石原裕次郎主演の傑作のひとつであると思っている。また、俗にいわれるロードムービーというジャンルの数ある映画の中でも特筆すべき作品であろう。本映画の主題なのであろう”愛”なるもの(”愛”なるものについて、筆者はよくわからない)について、この映画が提示しているものに対して、異なる見方や考え方を持っている方もいるであろう。しかし映画としてみた場合、どのシーンも適度な緊張感を持っており、冗長な部分がほとんどなく、すばらしいカメラアングルや、東名高速ができる前の日本の風景の連続は、蔵原監督の才気を示していると思われるのである。この映画で、アクションスターのイメージとは異なった石原裕次郎や浅丘ルリ子さんを見ることができるであろう。

 この映画で裕次郎が以下のような歌詞(聞き取りなので誤りがあるかもしれない)の歌をギターで弾き語るシーンがある。この詞で表現されている愛が、大作と典子の愛なのか、それとも美子と敏夫の愛なのか、それとも両方の愛なのか筆者にはわからないが、裕次郎の歌声がすばらしい。

 愛する 喜び 悲しみ 何処に
 思い出 探れど 探れど 浮かぶは
 色褪せて 虚しい 愛の言葉 
 虚ろなる 虚ろなる 白いページ
 めくれど めくれど 果てない リフレイン

 ところで極めて私事であるが、小学校の5年生の頃、なんと『緑はるかに』等の子役時代の浅丘ルリ子さんにそっくり女の子がクラスに転校してきた。自分も含めて周り中が田舎の子供たちの中で、この子は髪形も違っていたりして都会的で、全く別な印象を受けたことを覚えている。そしてなぜか担任の先生が、筆者の隣の席にその子を座らせたことを思い出したのである。あれからウン十年が過ぎたが、この映画を見直していて、今頃はどうしているのだろうかと、ふと懐かしく思われたのである。

 以下に他の方の感想があります。