昭和残侠伝 東映(昭和40:1965)
監督
 佐伯清  

出演
 高倉健
 池部良
 三田佳子
 江原真二郎
 昭和残侠伝とは、「昭和に生き残った侠客達の物語」とでも言う意味なのであろうと理解している。この映画は後にシリーズ化され大ヒットとなった記念碑的な作品であり、大東亜戦争(太平洋戦争は米国の呼称)が日本の敗戦で終わった頃の浅草が舞台になっている。この映画は、たぶんシリーズ化を前提として作られたものではなかったのであろう。しかし、この映画がヒットしたことによってシリーズ化され、マキノ雅弘や名作『関の弥太っぺ』の山下耕作等の名匠もメガホンをとり、計9本の作品が作られた。

 敗戦により荒廃した浅草において、多くの人々が露天商を営んで細々とその日を暮らしていた。これらの露天商が仕事をできるように、品物を調達し場所を提供する組の一つに関東神津組があったが、この神津組の場所(縄張り)を新誠会という新興のヤクザが奪おうとしていた。神津組四代目川田源之助は、この新誠会に対してあくまでも筋を通して対抗していたのだが、その源之助を新誠会は銃で暗殺してしまう。そんな時に、神津組の組員から慕われていた寺島清次(高倉健)が復員してくる。

 川田源之助は死ぬ前に、関東神津組五代目を寺島清次が跡目相続すること、そして組員は最後の最後まで争い事は起こさないこととの遺書を残していた。跡目を継いだ寺島はこの遺言を守り、新誠会の度重なる妨害に耐えるのであるが、組員のゼロ戦五郎(梅宮辰夫)が殺されてしまう。新誠会の暴行はさらにエスカレートし、神津組と親しい西村組の西村恭太(江原真二郎)も殺されるにいたって遂に寺島は立ち上がり、神津組に草鞋を脱いで客人として遇されていた風間重吉(池部良)と一緒に新誠会に殴り込みをかけるのであった。

 この昭和残侠伝は、随所に素晴らしいシーンを見ることができる。映画の冒頭、池部良演ずる風間重吉が、駆け落ちした妹を探すため神津組に草鞋を脱ぐにあたって切る仁義の見事さは他の役者の追随を許さないであろう。

 また、清次の復員が早ければ一緒になっていたであろう西村組の西村綾(三田佳子)と清次が、夕暮れの三巡さん(映画では、三巡となっているが浅草の三囲神社であろうか)の川べりでする会話の切なさと男のストイシズムの美しさは、男であればこうありたいと思わずにはいられないし、ましてこうしたものを持ち合わせていない小生には羨望さえ抱かせるものである。そして、最後の新誠会への殴り込みに向かう、一般に”道行”といわれるシーンである。清次を途中で待っていた風間が、こう言うのである。

 「清次さん、私も行かせてもらいますよ」
 「そいつはいけねえよ、風間さん」

   ・・・・(風間は、妹の死を告げる)

 「清次さん、ここであんたを一人で行かしちゃ、風間は一宿一飯の、渡世の仁義も知らねえ奴だと世間の笑いものになります。・・・・・・・男にしてやってください」

 こうして最後の殴り込みのクライマックスへ向かうのであるが、多くの人たちがこうした任侠映画に拍手喝采を送ったのは、当時の混沌とした世相の反映もあるのであろうが、自分を含めて”男になれない男”達が、高倉健演ずる、最後の最後までに耐えにたえる清次や、その清治に己を託す風間に、自分自身を重ねてひととき男になることを求めたためなのかもしれない。こうした”男”へ憧れは普遍的なものではないのだろうか。時代が変わっても、せめてこうした憧れだけは持ち続けたいものである。

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