独立愚連隊 東宝(昭和34年:1959)
監督
 岡本喜八

脚本
 岡本喜八

出演
 佐藤允
 中谷一郎
 中丸忠雄
 雪村いずみ
 上原美佐
 江原達怡
 鶴田浩二 
 三船敏郎
 この映画『独立愚連隊』は、痛快な映画である。映画の舞台は、大東亜戦争末期の北支戦線の山岳地帯である。そこの将軍廟という寒村を拠点として、児玉大尉が率いる日本軍の一部隊が、中国共産党の八路軍および蒋介石の国府軍と対峙していた。ある日この部隊に、荒木と名乗る新聞記者(佐藤允)が一人で現れる。児玉部隊の中に、敵陣深くに配置された独立第90小硝(警備隊)、通称、独立愚連隊という面白い部隊があるという噂を聞いてきたというのである。

 この荒木という新聞記者は、実は大久保という軍曹で、北京の軍病院に入院中に、この独立愚連隊の小硝長だった弟が、梨花という中国人と心中したと聞き、その真相を確かめるために脱走してきたのである。

 大久保軍曹は、独立愚連隊の隊員からそれとなく話を聞いたり、梨花の妹の小紅(上原美佐)が、心中の前日に梨花から預かった文書から、弟は児玉部隊の副官の藤岡中尉(中丸忠雄)によって殺されたことを突き止め、弟の仇を討つ。しかし、独立愚連隊は八路軍の攻撃を受け、大久保軍曹も独立愚連隊と共に戦うが、大久保を除いて全員戦死してしまうのである。

 以上が、この映画の極めて大雑把なストーリであるが、佐藤允というキャラクターを得て、岡本喜八監督が日本軍を舞台として作った、面白く痛快な戦争映画である。驚いたことにこの映画には、児玉大尉として三船敏郎が、梨花の兄の馬賊のヤン亜東として鶴田浩二が出演している。二人とも、既に押しも押されもしない大スターであったが、彼らが演じた役は、全くの脇役のような役なのである。特に三船の演ずる児玉大尉は、藤岡中尉らの不正に気がついたため、城壁から突き落とされて頭がおかしくなったという設定であり、そのような演技も披露しているのである。常識的には、どう考えても三船がこのような役を引き受けるとは思われないが、三船と岡本喜八監督は、駆け出し時代に苦楽を共にした仲という間柄であったということで納得できるし、三船の人柄というものが理解できるような気もするのである。

 さてこの映画は、”痛快な映画である”と書いたが、まことにその通りである。映画は、大平原の中で佐藤允が画面いっぱいに寝ている場面から始まり、やおら起きて馬に乗って走り出すのであるが、ここでバックに流れる曲が、三船の『隠し砦の三悪人』を彷彿とさせる曲調なのである。それもそのはず、どちらも佐藤勝作曲であり、雄大な背景と相俟って、この映画に対する期待が高まってくるのである。

 ところで、映画『独立愚連隊』は、一般には戦争の馬鹿馬鹿しさを表現している映画であると言われているようである。戦争は言うまでもなく馬鹿馬鹿しいものであるということは、当然過ぎることであろうし、実際映画の中でも、登場人物に、「戦争は馬鹿馬鹿しいもの」と繰り替えし言わせている。しかしこの映画からは、日本が戦った戦争が馬鹿馬鹿しいとか、日本軍の非人間性や狂気とでもいうようなメッセージは、感性が鈍いためなのか、あまり感じられなかったのである。むしろ日本軍の兵隊達が、明日をも知れない状況に置かれながら、如何に人間味に溢れていたかが表現されているのである。

 一例をあげる。軍旗を独立愚連隊から将軍廟の児玉部隊の本隊に送り届けるとき、以下のような場面が展開されるが、辻小硝長(中谷一郎)や中村兵長(江原達怡)、そして残った兵隊達の優しさが表現されているように思われるのである。

 辻小硝長;「補充兵を全部軍旗につけて帰そうと思うんだがな」
       「俺たちは幸い独身(ちょんがー)ばっかりだ やっこさんたちはみんな女房持ちのコブ付ときてる」

 中村兵長 ;「そうしましょうや どうもあのオッサンたちは足手まといでいけねや」

  <他の場面が挿入された後、補充兵がトラックに乗って将軍廟に向かう場面となる>

 残った兵隊達が補充兵に向かって ;「ばかやろー」「トットと帰れー」「おっかちゃんが待ってるぞー!」

 補充兵たちが残った兵隊達に向かって;「ありがとうございました」「お世話になりました ありがとうございました」「兵長殿 お世話になりました」

 辻小硝長、中村兵長;「気いつけてな!」


 一方、副官の藤岡中尉や仲間の酒井曹長などは、人間性の欠片もない徹底的な悪人として描かれている。そして、大久保軍曹が藤岡中尉の悪事をばらして弟の仇を討つとき、藤岡に向かって「俺が言っちゃ変だが、日本軍隊の面汚しって奴だ」と言うのである。確かに、日本軍の中には、藤岡中尉のような私利私欲に走った人間もいたのかも知れないが、多くの日本軍の兵隊達は人間味に溢れていたとして表現されているのである。

 また、この映画の最後で、生き残った大久保軍曹が、馬賊のヤン亜東に助けられ、仲間に入らんかと誘われる。渋る大久保に、ヤン亜東が次のように言うのである。「我々馬賊の目的は、日本人のいわく”弱きを助け 強きをくじく”のだ」と。この言葉から、岡本喜八監督は戦争を馬鹿馬鹿しいとみなしてはいても、日本および日本軍を肯定的に捉えているように感じられるのである。

 ところでこの映画には、いわゆる慰安婦(日本語が少し変な女もいる)も登場するが、後年、朝日新聞によって捏造されたと言われる従軍慰安婦が主張するような環境とは全く異なった描かれ方をしていることも付け加えておきたいものである。思うに、この映画が製作された1959年は、まだ大東亜戦争が終わってから14年後であり、多くの戦争経験者が生き残っていたであろうから、この映画に描かれたような慰安婦の状況が、当時の一般的な認識だったように思われるのであるが、どうだろうか。なお、この映画の続編として『独立愚連隊西へ』が翌年に作られているが、面白さが更に徹底された作品となっている。

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