監督
溝口健二
撮影
宮川一夫
音楽
早坂文雄
出演
田中絹代
京マチ子
森雅之
小沢栄太郎
水戸光子 |
この映画『雨月物語』は、戦国時代の近江国の琵琶湖北岸の貧しい村の二人の男の物語である。この映画を評すれば、”幽玄”とか、”妖気漂う”というような表現がまさにふさわしいのであろう。これを可能にしたのは、監督溝口健二の力量に加えて、国宝にすべきとも言われた名手宮川一夫の撮影と、早坂文雄の音楽であろう。宮川一夫が撮った映画は、例えば本ホームページで取り上げた『山椒大夫』や『近松物語』、黒澤明監督の『羅生門』、『用心棒』等、枚挙に暇がなく、同様に早坂文雄には、『山椒大夫』や黒澤作品の『七人の侍』などがある。
映画の背景は、羽柴秀吉と柴田勝家が信長の後継者の地位を賭けて戦ったころのことであろう。焼き物で生計を立てている源十郎(森雅之)と、源十郎の義弟で侍になることを望んでいる藤兵衛(小沢栄太郎)という二人の男が琵琶湖北岸の貧しい村に住んでいた。二人は、源十郎の焼いた陶器を長浜城下の市に売りに行ったのだが、戦が迫っていたためか思いがけずに高く売ることができ大金を手にしたことにより、二人の運命が狂い始めるのである。
源十郎は、より多くの陶器を焼いてさらに大金を得ようとし、藤兵衛はその金で具足や槍を買ってなんとしても侍になろうとするのであった。柴田軍の食料徴発の雑兵達が迫る中、陶器を焼いた二人は、丹羽長秀の大溝城下に船で売りに行くのである。このときは、源十郎の妻・宮木(田中絹代さん)と子供の源一、また藤兵衛の妻の阿浜(水戸光子)達も一緒であった。その途中、戦から逃れてきた船に会い、既に戦は始まっていることを知って、源十郎は宮木と源一を途中で降ろして逃れさせ、どうにか大溝城下の市で陶器を売るのであった。
そのとき、付添いの老女を従えた妖しく臈長けた若狭(京マチ子さん)が現れ、源十郎の陶器をいくつか注文し、沓木(映画の中では”クツキ”といっているようなのでこの字をあてる)屋敷まで届けてくれるようにと命じて去っていく。屋敷を訪れた源十郎は、そこで思いがけぬ饗応を受けたばかりか、若狭の誘惑に負けてしまうのであった。一方の藤兵衛は、妻の阿浜が必死に止めるのも聞かず、手にした金で槍と具足を買い揃え、丹羽の雑兵となってしまうのである。
沓木屋敷で若狭との享楽の日々を送っていた源十郎は、ある日ふと買い物に出かけ、その帰途に一人の老僧に呼び止められる。老僧は、「お前の顔には死相が出ている。お前が暮らしている若狭は死霊だ。」と言って、訝る源十郎の体に呪力を持つ梵字を書いて屋敷に戻すのである。屋敷に戻った源十郎は、実は妻子があり帰してくれるように懇願する。若狭は怒りに狂い、源十郎の無慈悲を責めるのだが、源十郎に触れることができなかったのである。
一命をとり止めた源十郎がどこをどう帰ったのか、懐かしの我が家にたどり着くと、そこには妻の宮木と源一が待っていた。そして、帰宅し得たことの安堵から深い眠りに落ちるのだったが、翌朝目覚めてみると、宮木の姿は掻き消すようになくなっていたのであった。一方、藤兵衛は、戦の中で卑怯にも兜首を横取りし、その偽りの功名によって家来持ちの侍にまで立身する。しかし、自分の出世した姿を見せたくて故郷に帰ろうとする街道の途中で、遊女に身を落とした阿浜とめぐり合い、初めて自分の愚かさを悟るのであった。どれほどの日時が経ったのだろうか。平和が戻った村には、陶器作りにいそしむ源十郎と畑作に励む藤兵衛と阿浜の姿があったのである。
人間は何らかの欲、例えば金銭欲や出世欲によって突き動かされて生きているのであろう。哀しいのは、源十郎は手にした金で妻の宮木に美しい着物を買ってやり、楽な暮らしをさせたいという願いが底にあり、また愚かな藤兵衛は、立身出世して妻の阿浜に褒めて貰いたかったのである。多くの人間にもこのような思いを見出すことができるのであれば、この二人を哂うこともまた難しいように思われるのである。
この映画を表現する言葉として、”幽玄”という言葉が妥当かどうか分からないが、陶器を売りに湖水に漕ぎ出した船の場面や、沓木屋敷の場面の美しさは例えようがないであろう。Wikipediaによれば、ゴダールが「好きな監督を3人挙げると?」と問われて、「ミゾグチ、ミゾグチ、ミゾグチ」と答えたということであるが、ヨーロッパでの本作の評価も高く、ベェネツィア国際映画祭でサンマルコ銀獅子賞1位を獲得している。日本映画が最も充実していた頃の必見の名作である。
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