麦秋
監督
 小津安二郎

脚本
 野田高梧
 小津安二郎

出演
 原節子
 笠智衆
 菅井一郎
 東山千栄子
 三宅邦子
 高堂国典
 淡島千景
 杉村春子
 佐野周二
 二本柳寛
 『麦秋』は、世界的に評価されている『東京物語』の2年前に制作された映画で、鎌倉に暮らす間宮家が舞台である。間宮家には、周吉(菅井一郎)とその妻の志げ(東山千栄子さん)、周吉の長男で都内の病院に勤める医師の康一(笠智衆)と妻の史子(三宅邦子さん)、彼らの二人の息子の実と勲、それに周吉の長女で東京の商社で専務の秘書をしている紀子(原節子さん)がいた。

 また、間宮家の近くには、南方戦線で戦死した周吉の次男と高校が同じで、庚一と同じ病院に務めている矢部謙吉(二本柳寛)とその母たみ(杉村春子さん)が住んでおり、間宮家とは親しい付き合いをしていた。謙吉は、まだ小さな娘がいたが、一昨年に妻を亡くしていた。この映画は、28才にもなってまだ結婚していない紀子が結婚をするまでのこの家族の悲喜こもごもを描いている。

 当たり前のことであるが、この家族は極ありふれた日常を送っている。毎朝、周吉はカナリアの世話をし、康一は都内の病院へ、紀子は勤務先の商社へ、二人の息子たちは学校にそれぞれ行き、そして志げと史子は家事を行なっていて、穏やかな時間が流れていた。そんなある日、周吉の兄で大和(奈良の大和郡山のようである)に住んでいる茂吉(高堂国典)が、間宮家を訪ねて上京してきた。紀子の結婚話や、周吉とその妻の志げに大和に来ないかと言いに来たようである。

 紀子の結婚については、勤務先の佐竹専務(佐野周二)も心配していたらしく、縁談話を持ってくる。佐竹の大学の先輩の四国の旧家の次男で、紀子も少しは心を動かされたようである。しかしこの縁談については、相手が40歳であるため、志げや史子は紀子が可哀想だと思い、康一は、紀子の年齢では贅沢言えない身分だと思っているのである。

 そんなとき矢部謙吉に、秋田の県立病院への転勤の話がくる。矢部の母は秋田行きを逡巡するものの、結局は謙吉と一緒に行くことを決心する。そして謙吉が明日いよいよ秋田に出発するという前の晩、紀子が矢部家に挨拶に訪れた。そのとき、たみから「あなたのような方に健吉のお嫁さんになって頂けたらどんなにいいだろうなんて そんなこと思ったりしてね」と言われるのだが、それを聞いた紀子は、素直にその話を受け入れるのであった。間宮家では、急な話に皆が驚き、呆れてしまうのだが、紀子の決心が硬いことから、この結婚を認めるのであった。

 そして紀子が秋田に嫁いでしばらくして、大和の家で語り合う周吉と志げの姿があった。そして、彼らの視線の先には、何処かの家に行く花嫁の行列と、風に揺れる見事に実った麦の穂が広がっていたのである。

 以上が、この映画のストーリーであり、約二時間の映画が実にこれだけの話しか描いていないのである。しかしその代わりに、紀子と紀子を取り巻く人々(淡島千景さん演ずる田村アヤ等の学生時代の友人など)の日々の生活とその時々の思いが丹念に描かれ、そしてそれによって登場人物達の心情が見事に表現されているのである。

 ところで小津映画には悪い人間がほとんど出てこないが、この映画でも同様である。その替わりという訳ではないが、強いて言えば二人の子供がその役で、元気ないたずら小僧として描かれ、映画に笑いをしばしば与えてくれている。例えば、茂吉が耳が遠いことから、兄の実が次男の勲に、茂吉に対して「バカッ!」と言わせたり、鎌倉大仏に散歩に行った時などキャラメルを食べさせて、茂吉が紙ごと食べるのを可笑しがったりするのである。そして、この子供たちは玩具の電車のレールを欲しがっていて、志げの肩たたきをして、お小遣いをねだったりするのである。多分、多くの方は、自分の子供の頃のことを実や勲に重ね合わせることができるのではないだろうか。

 紀子の結婚によって、周吉と志げは大和に行き、残った庚一達はこの家で開業医を営むことになり、間宮家は、バラバラになってしまった。そいう間宮について、周吉がこんなことを言う。「いやァ わかれわかれになるけどまたいつか一緒になるさ ・・・いつまでもみんなでこうしていられりゃいいんだけど・・・そうもいかんしね」と。家族であっても、いつまでも同じではないという無常感というようなものを、この映画は静かに、そして見事に表現しているのように思われるのである。

 ”静かに表現している”といえばその通りで、現在のように映画にアクションを求めるとすれば、まことにこの映画は退屈な映画であろう。しかし観た後で、この映画のいろいろなシーンが何故か脳裏をよぎるし、なんども繰り返し見直したいと思うのも事実である。実にこの映画には、しみじみと心打つシーンを随所に観ることができるのである。例えば、周吉と志げが、ある日曜日に上野の国立博物館に行くのだが、お昼を庭でとっていて話をする場面や、紀子の結婚が決まった後に海岸で紀子と史子が話す場面、矢部謙吉の母親のたみが紀子に結婚の話をする場面、家族全員で記念写真を取る場面など、枚挙にいとまがない。たみ役の杉村春子さんの場面は、これ以上ないといえるような名演技であり、また脚本の素晴らしさを知ることもできるシーンである。いずれにしろこの映画は、翌年の映画賞を総嘗めにした名作中の名作なのである。

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