監督
黒澤明
出演
藤田進
大河内伝次郎
月形龍之介
轟夕起子
志村喬 |
『姿三四郎』は黒澤明監督の記念すべき第一回監督作品であり、大東亜戦争の最中の1943年の三月に公開された作品である。黒澤明は、この後に『一番美しく』を監督するが、会社からの強い要求により、『続姿三四郎』を敗色濃くなった1945年5月に公開している。
この映画は、柔術が柔道に変わろうとする明治の初期のころ、ひたむきに柔道を極めようとする姿三四郎という若者の物語である。
『姿三四郎』では、柔術を学ぶために東京に出てきた三四郎(藤田進)が、柔術を改め柔道として体系化しようとしていた修道館の矢野正五郎(大河内伝次郎)という師と出会い、稽古を重ねて強くなり、そしてその過程で避けて通れない旧来の柔術家達との戦いに勝利するものの、突然旅に出てしまうまでが描かれる。闘った柔術家は、神明活殺流の門馬三郎、良移心当流師範の村井半助(志村喬)、そして村井の弟子である檜垣源之助(月形龍之介)等である。
映画では、柔術家達との闘いも描かれるが、むしろ主題はこれらの闘いを通しての三四郎の苦悩と成長に焦点が当てられている。例えば、修道館に入門した三四郎は、矢野の指導の下に強くなると慢心し、ある祭りの晩に町で喧嘩をしてしまい、矢野から以下のように一喝されるのである。
矢野:「どうだ。 思いっきり投げて気持ちよかったろう」
三四郎:「申し訳ありません」
矢野:「私も お前の働きが見たかった。強い まったく強くなった。お前の実力は今や私の上かもしれん。しかしな姿、お前の柔道と私の柔道とは天地の隔たりがある。気がつくか お前は人間の道を知らん。人間の道を知らんものに柔道を教えるのは、これはキチガイに刃物を持たせるのに等しい」
三四郎:「先生 人間の道は知っとります」
矢野:「嘘を言え! 理性もなく 目的もなく 狂い回るのが人間の道か 人間の道とは これこそ天地自然の真理である。この真理によってのみ人間は死の安心を得る。 これがすべての道の究極の一点だ。柔道とて同じこと。姿、お前はこの一点を見失っておる。」
三四郎:「いいえ 先生、先生の命令とあらば今でも僕は死ねます」
矢野:「黙れ」
三四郎:「いいえ 死ねます」
矢野:「黙れ 一無頼漢に堕し去ったお前などの口先の返答は信じはせん」
この後、三四郎は「死ねます」といって、庭の池に飛び込むのであるが、修道館が間借りしているお寺の和尚との問答によって、豁然と悟るのである。
矢野正五郎を演じた大河内伝次郎は、実は熱心な仏教徒であり、映画出演料の大半を注ぎ込んで作った大河内山荘の広大な敷地の中に持仏堂があり、そこで読経三昧、座禅三昧であったということである。このような大河内伝次郎が演ずる矢野は、まさに適役というべきであり、演技というより本心の吐露なのではないかとさえ思えるのである。ただし、残念ながら凡俗の小生には、三四郎が何をどのように悟ったのかは、いまもって不明のままである。
三四郎は、 神明活殺流の門馬三郎との試合では、門間を投げ殺してしまい、その娘を悲嘆の淵に落としてしまう。また良移心当流師範の村井半助も倒すのだが、その村井の娘、小夜(轟夕起子)が神社で父の勝利を祈願する姿を見てしまい、また小夜に淡い恋心を抱いてしまったため、試合を前にして迷い、勝利を得ても、柔道とその勝負に対する疑念をぬぐいきれないのである。
そういうときに村井半助の弟子の檜垣源之助から果たし状をうける。三四郎は、果し合いの場所である武州右京ヶ原で檜垣源之助を倒すものの、柔道とその闘いがもたらす結果を受け入れることができずに、旅に出てしまうのである。
ところで黒澤明が目標とした監督として山中貞雄がいる。山中作品として、本サイトでは『丹下左膳』や『人情紙風船』を取り上げているが、『丹下左膳』の中で、子供が家出した後の時間経過を、焼いている餅がしだいに膨らむ様で表す有名なシーンがある。黒澤監督も、このシーンを意識したかどうか分からないが、同様な手法を用いている。三四郎が矢野に弟子入りを志願したとき、逃げた人力車夫の代わりに人力車を引いていくのだが、このとき履いていた下駄を路傍に置いていく。そしてこの下駄が、犬の遊び相手になり、雨や雪に晒されたり、川を流れたりすることで、年単位の時間の経過を表現している。
このように、山中監督等の影響を受けつつも、檜垣との右京ヶ原の決闘の場面は、ダイナミックな風景や流れる黒雲など、後の黒沢作品を予感させる演出を行っている。柔道という世界を映画に置き換えると、三四郎と黒澤監督が重なるように思われ、映画という新しい表現手段に対する黒澤監督の意気込みが感じられるるのは、小生だけではないであろう。
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