昼下がりの情事 アメリカ(1957)
監督
 ビリー・ワイ ルダー

撮影
 ウィリアム・ C・メラー

音楽
 フランツ・ ワックスマン

出演
 オードリー・ヘップバーン
 ゲーリー・クーパー
 モーリス・シュヴァリエ
 この映画『昼下がりの情事』は、舞台をフランスのパリとした一種の大人のメルヘンである。主人公は、オー ドリー・ヘップバーン演ずる、私立探偵クロード・シャヴァッス(モー リス・シュヴァリエ)の一人娘のアリアーヌ である。そしてその相手となるのが、ゲー リークーパー演ずる世界的な大富豪にして世界中の都市において浮名を流すプレーボーイのフラナガンである。

  アリアーヌは、パリの高等音楽院コンセルヴァトワールに通ってチェロを学んでいる学生であり、同じコンセルヴァトアールに、”友人以上恋人未満”という関 係 の真面目なミシェルがいる。さてシャヴァッスの仕事である探偵業であるが、特に浮気専門といってもよい調査を行っており、彼の住居兼オフィスにはこれまで に行った膨大な調査資料があり、実はアリアーヌは、父親の知らぬ間に、これらの資料を読み込んで精通し、未だ見ぬ情熱的な恋愛に胸をときめかせて いたのであ る。

 おりしもシャッヴァスは、ミ スターXなる人物からの依頼で、X氏の妻がフラナガン(ゲイリー・クーパー)と浮気をしていないかどうかを調査中であった。その ため早朝から張り込みを続け、有名なリッツホテルにおける密会の写真撮影に成功したのである。そしてその調査結果から妻の不倫を知ったミスターX が、怒りからフラナガンをピストルで撃とうとするのであった。そのことを知ったアリアーヌはホテルに先回りし、ミスターXの妻の身代わりを演じて事 なきを得た。しかし、その代わりにアリアーヌ自身がフラナガンに魅惑されてしまうのであったが、幸いにもフラナガンが仕事のために翌日にはパリを離れたた め、二人の関係はそれ以上に発展することなく終わっ たのである。

  そして何ヶ月か過ぎた頃のあるコンサート会場において、アリアーヌはフラナガンを見かけてしまい、二人の午後の”逢瀬”(あくまでも逢瀬であり、情事で はない。またいわゆる”デイト”でもない。どのような言葉が適当なのかわからないが、古い日本語の”逢瀬”を用いる) が始まってしまうのである。フラナガンもアリアーヌに惹かれるものの、それはあくまでもこれまで同様の単なる遊び相手としてであり、愛というようなもので はなかった。そのためアリアーヌは、 父の調査ファイルの情報を駆使して、フラナガンに負けまいとして、いかにも多くの恋愛経験があるかのように振る舞ってみせるのだが、それがかえってフラナ ガンの嫉妬心を煽るのであった。

  ある日の午後の逢瀬のとき、たまたまフラナガンの遊び相手であったベルギーの双子の姉妹からフラナガンに電話があり、それに怒ったアリアーヌは、父の調査 ファイルから仕入れた様々な不倫事件を、あたかも自分の経験かのように録音して帰ってしまう。その録音を繰り返し聞いたフラナガンは、嫉妬の極限に達して し まい、気を落ち着かせるためにサウナに行く。

 そこで偶然出会ったミスターX氏の助言により、フラナガンは、 なんと父シャッヴァスにアリアーヌの調査を依頼するのであった。シャッヴァスは、フラナガンが語る相手の女の恋愛遍歴の内容から、一人娘のアリアーヌ自身 がフラナガンの相手であることを悟り、フラナガンのホテルに行って告げるのである。

 「パリを離れて欲しい。私の娘だ。助けて欲しい」と。

  全てを悟ったフラナガンは、パリを離れることを決意する。アリアーヌがいつものように、約束の午後の時間にホテルを訪れると、既に荷造りを済ませたフ ラナガンは、「バカンスのためにパリを離れる」と、アリアーヌに述べるのであった。失意を隠して、アリアーヌはパリ駅のホームまで見送りる。そしてアリ アーヌは、溢れ出ようとする涙を抑えながら、列車のデッキのフラナガンに対して、あ くまでも恋愛経験豊富な女であると装いうために話し続ける。

 「私なら大丈夫よ 大勢付き合ったし これからもそう また忙しい年になるわ ・・・・」と。

 発車のベルが鳴り、列車がゆっくりと動き出す。それでも話し続けるアリアーヌを、フラナガンはついに抱き上げてしまうの で あった。この最後の駅のホームのシーンは、アリアーヌの心情が痛いほど伝わってきて、思わず涙ぐんでしまうような素晴らしいシーンである。そして残された プラット ホームに は、ふたりを微笑んで見送るシャヴァッスの姿があったのである。
 以上がこの映画の概要であるが、 この映画は全編に渡って溢れる、上品なユーモアのセンスが実にすばらしく、名匠ビリー・ワイルダー監督の面目躍如というべきであろう。この映画は、まさに オードリ・ヘップバーンの魅力に満ち溢れている映画なのである。可能ならば、この映画のユーモアのセンスを例を挙げて説明したいのだが、たぶん言葉 が虚しくなるだけであり、いつもの如く”まずは是非ともご覧あれ!”ということしか言えないのである。そして、アリアーヌとフラナガンの逢瀬の場所のどこ にでも現われる4人の楽団と、彼らが 奏でる「魅惑のワルツ」の美しい旋律に酔いしれていただきたいものである。
 この映画は、まことにメルヘンである。映画を見ることの一つの楽しみは、映画を見ている間は、自分自身を映画の登場人物のように仮託できることで あるが、この映画でも、男である筆者は自分自身をフラナガンに仮託し、最後の逡巡を共にして、そして決心してオードリーを列車に抱き上げているのである。
 ところで、昔々この映画『昼下がりの情事』を観る前には、オー ドリー・ヘップバーンと”情事”という言葉がどうにも結びつかず、強い違和感を持った。そして、実際のタイトルが『Love in theAfternoon』だったので、オードリー・ヘップバーンの映画に、実にトンでもない邦題をつけるものだと少し腹立たしく思ったものであるが、今となっては名訳だったように思われるのである。


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