暗くなるまで待って ワーナー・ブラザース(1967)
監督
 テレンス・ヤング

出演
 オードリー・ヘップバーン
 アラン・アーキン  
 007シリーズ中の傑作”007危機一発”(後に、”ロシアより愛をこめて”に変更)の監督として有名なテレンスヤングを、オードリー・ヘップバーンの強い要望により監督として起用して作られたサスペンス映画の傑作中の傑作である。このような映画は、ストーリーを書くべきではなく、実際に見てもらうのが一番である。
 冒頭、いきなり人形(と最初は気づきにくいが)が切り裂かれるシーンから始まり、最後まで引き込まれてしまうのであるが、この人形をめぐってストーリが展開する。金髪の女がこの人形に隠した麻薬をカナダからケネディ国際空港に運ぼうとするが、身の危険を感じて同乗していたカメラマンのサム(エフレム・ジンバリスト・Jr)に預けてしまう。これが、サムの盲目の妻スージー(オードリー・ヘップバーン)に、思いもかけない危険をもたらしてしまうことになる。

 サムは人形をアパートに持ち帰るが、この人形には麻薬が隠されており、それを探しに3人の男がスージーのアパートに現れる。この3人の男がスージーから人形を奪おうとするが、盲目のスージーを助けている2階の少女が持ち出していたため見つからず、3人の男が様々な策謀をめぐらして来る。こうしてス-ジーと男達の闘いが、アパートの一室で進められるのであるが、随所にちりばめられた伏線がすばらしく、どんなシーンも映画が進むにつれて意味を持ってくることがわかる。
 スージーは、盲目であるが故に常人以上に感覚が鋭くなっており、次第に3人の正体に気づいていく過程もすばらしく、それに従ってスージーの恐怖が観客の恐怖として伝わってくる。3人の正体に気付くが、電話線も切られて外部との連絡を絶たれたスージーは、盲目であり家の中を知り尽くしていることを唯一の武器として、一人でこの3人と闘うことを決意するのでる。スージーがどのように戦うかは、映画を見てのお楽しみであろう。

 映画館で上映されたときには、”最後の10数分間(?)は館内の照明を落とします”というような告示があったように思われるが、暗闇の中で観客はスージーの恐怖を一緒に体験するのである。この映画の成功は、オードリーのアカデミー賞主演女優賞ノミネートされた演技と、3人の一人のロートを演じたアランアーキンの演技(アカデミー賞助演男優賞ノミネート)、そしてテレンスヤング監督の卓越した演出の賜物であろう。どの映画館でも、観客の大きな悲鳴につつまれたようであり、是非とももう一度映画館で見たいものである。

 この映画の後、オードリー・ヘップバーンはしばらく映画から遠ざかってしまうのであるが、出演していたらもっと多くの優れた映画が残ったことであろうことを考えると、大変残念である。またアラン・アーキンの演技もすばらしく、”身の毛もよだつ”というよりは”背筋も凍る”という演技をしているのだが、アラン・アーキンは「愛すれど心寂しく」とう映画では、心優しい、しかしそれゆえに寂しい聾唖の主人公を演じており、いまさらながら、役者というものの凄さを知ったものである。
 アラン・アーキンはこの映画に関連して、”現在の映画は、多くを語りすぎ、見せすぎている。そのため、観客が映画を見て想像することを奪ってしまっている”というようなことを述べているが、まさにそのとおりであるように思われる。最も助けてあげたい女優であるオードリーの孤独な戦いを是非とも鑑賞していただきたいものである。

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