監督
黒澤明
出演
榎本健一(エノケン)
大河内伝次郎
藤田進
志村喬
仁科周芳 |
この映画『虎の尾を踏む男達』は、歌舞伎の勧進帳を基に映画化したものである。しかし、歌舞伎とまったく同じでは映画として魅力あるものとはならないため、黒澤明監督は、日本の喜劇王エノケンを一種の狂言回しとして起用し、また細部において歌舞伎とは少し異なる演出をしている。また斬新な試みとして、場面の説明をするナレーションを、音楽に合わせて述べるというオペレッタ風な試みを行っている。
山路を急ぐ山伏姿の七人と一人の強力(エノケン)があった。この強力は、山伏たちと話をしているうちにこの一行が都を落ちていく義経主従であることを知ってしまう。また逆に義経たちは、彼らが主従七人で山伏姿に身をやつしていることを安宅の関の役人たちが知っているということを、逆にこの強力から教えてもらうことになる。そこで、弁慶たちは一計を案じ、義経を強力姿に変えて安宅の関を通ろうとするのである。
そうして安宅の関にいたるのだが、ここではあの有名な勧進帳の披瀝と、弁慶と地頭富樫左衛門との山伏問答となる。富樫は、この山伏一行が義経主従であると気づいてはいるようなのだが、彼らを通そうとするのである。しかし梶原の使者が強力姿の義経に疑念を抱いて留めようとしてしまうため、弁慶が機転を利かして、強力姿の義経を金剛棒で打ち据えると、富樫が『おのれの主を杖を持って打つ家来があるはずもござらぬ』といって、関を通すのである。
関所からそれほど遠くないところに辿り着くと、弁慶は義経の前に手をついて先ほどの非礼を詫びるのであるが、そうこうしてしていると富樫から義経一行に、先ほどの軽率を詫びるためといって酒が届けられる。一行は安堵し、弁慶はじめ皆がしたたかに酔い、強力は酔いつぶれ、弁慶は舞を披露する。どれほどの時間が経ったのだろうか、吹き抜ける野分に強力が眼をさますと、美しい小袖がかけられ、その上に一個の立派な印篭がの残されているばかりであった。
この映画は、極めて実験的なもののように思われるのであるが、八月に終戦して、わずかに一ヶ月ほどで発表されているのである。黒澤明監督は、エノケンを狂言回しとして出演させているが、後に同様な手法を『乱』でも使用していると思われる。即ち、ピーターが演じた狂阿弥である。しかし、この映画を見れば分かるように、エノケンの存在感と演技の前には、たぶんピーターはかすんでしまうのではなかろうか。
勧進帳の主役はもちろん弁慶であるが、弁慶を演じた大河内伝次郎の演技も素晴らしいものである。特に山伏問答の迫力や、弁慶の機転で何とか関所を通り抜けた後で義経の前に手をつき、非礼を詫びる以下のところなどは、美しい主従の関係に涙を誘って余りあるものであろう。
<弁慶、義経の前に手をついて>
弁慶;「もったいなや。計略とは申しながら、・・・」
義経;「弁慶、手を上げい」
弁慶;「そのうち、この腕も腐り申そう」
<義経、弁慶の手をとって>
義経;「いや、我を打ったのはこの手とは思わぬ。天の加護、弓矢八幡の御手が我を守らせたもうたのじゃ。ありがたくおもうぞ。」
ところで義経であるが、最近はただのアイドルタレントが義経を演じたりしているが、この映画で義経を演じたのは仁科周芳(十代目岩井半四郎)で、その言葉使いや抑揚、そして姿形や立ち居振る舞いがいかにも貴種という趣を醸し出しており特筆すべきものである。源判官九郎義経はこうでなければならないだろうし、そうでなければ”判官贔屓”も影が薄くなろうというものである。
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