雨ふり小僧
原作・監督
 手塚治虫

脚本、監督

 吉村昌輝

音楽
 小六禮次郎

声の出演
 堀洵子(雨ふり小僧)
 間嶋里美(モウ太)
 『雨ふり小僧』は、妖怪と呼ぶには躊躇してしまうような、とても可愛い雨ふり小僧と、山の分校のモウ太との”約束”の話である。

 ある日モウ太は、橋の下で自由に雨を降らすことができる雨ふり小僧に出会う。雨ふり小僧は、モウ太が履いていたゴム製の雨靴と交換するということを条件に、三つの願いを適えてやるという約束をする。

 雨ふり小僧が三つの願いをかなえてやった直後、分校が廃校になり、モウ太は町に引っ越してしまうのだった。そう、町に移れるという嬉しさから、モウ太は雨ふり小僧との約束をすっかり忘れてしまったのだ。

 そして、40年の月日が流れる。今はデパートの社長になったモウ太が、娘と一緒にデパートで買い物をしていてゴム長靴を手に取り、全く忘れてしまっていた40年前の雨ふり小僧との約束を思い出すのである。モウ太は、全ての予定を取りやめ、雨ふり小僧と約束した橋に駆けつけるのだったが、・・・・

 このアニメを見るとなぜか涙してしまうのである。そして、自分にも忘れてしまった何らかの約束があったのではないだろうかと考えてしまうのである。

 それは、田舎で過ごした少年時代に学校でした約束かも知れないし、今は既に亡くなっている親との約束かも知れないし、仕事の中で交わした約束かも知れないし、それから自分の子供が幼かった頃に子供と交わした何気ない約束かも知れない。そしてさらに、言い換えれば決意というようなものになるのかも知れないが、今まで生きてきた中で自分自身にしてきた”自分への約束”もまた忘れているような気がしてしまうのである。

 雨ふり小僧はモウ太にしか見えないのであるが、それは雨ふり小僧がモウ太自身であるためであり、40年後に再会した雨ふり小僧の姿が見えなくなってしまうのは、脇目も振らずに働いて大人になったモウ太が、約束する相手としての自分を見失ってしまったことを意味するのかも知れない。

 年齢を重ねるということは、雨ふり小僧の姿が見えなくなるということであり、それを避けることは出来ないのかも知れないが、自分もまた再び雨ふり小僧に会いたいものだと思うのである。

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