安寿と厨子王丸 東映(昭和36年(1961年)作品)
監督
 藪下泰司

音楽
 木下忠司
 鏑木創

声の出演
 佐久間良子
 住田知仁
 北大路欣也
 山田五十鈴
 山村聡
 宇佐美淳也
 三島雅夫
 東野英治郎
 平幹二郎
 花沢徳衛
 本作品は、森鴎外の代表作『山椒太夫』を原作として、東映動画が1959年の『少年猿飛佐助』に続いて発表した日本のアニメーション映画の傑作である。小さい頃に、この山椒大夫の元になった説話「さんせう大夫」(あるいは、森鴎外の山椒大夫だったのかも知れない)の絵本を読んだことがある。厨子王が成長し佐渡に売られた母を探して訪ねていき、ある老婆が「安寿恋しや、ホーヤレホー、厨子王恋しや、ホーヤレホー、・・・」と歌っているのを聞いて母と知るという場面に心を動かされたことを覚えている。

この映画のおおよそのストーリーは、次のようなものである。岩城の国の判官正氏(宇佐美淳也)が、上司鬼倉陸奥守(三島雅夫)によって無実の罪に着せられて京の都へと送られてしまう。そのため正氏の妻八汐(山田五十鈴さん)は、子供の安寿(佐久間良子さん)と厨子王(住田知仁)、それに使用人の菊乃を伴い、鬼倉陸奥守に追い立てられるようにして京へと向かうのである。

 しかし京への道の途中で、人買い達によって母と菊乃、安寿と厨子王丸は別々の船に乗せられ、菊乃は海に落とされ、母は佐渡へ、安寿と厨子王の姉弟は山椒大夫の元へとそれぞれ売られてしまう。安寿と厨子王は、山椒大夫(東野英治郎)の元で過酷な労働を強いられるるが、ある日意を決した安寿が厨子王に「京の都に行って、お父様を探すのよ」と厨子王を諭して、京の都に厨子王を逃がしてしまうのである。

 厨子王を逃がした安寿は山椒大夫の息子の二郎(平幹二郎)に責められ、三郎に助けられるものの入水してしまうのだが、国分寺へ逃れた厨子王は、国分寺の僧から関白への紹介状を貰って京に向かうのだった。都へ上った厨子王は、清水寺で関白藤原師実(山村聡)の息女のあや姫を助け、それによって藤原師実に会うことができるのだが、遠く九州へ流された父はすでにこの世になかったことを知る。師実の庇護を受けた厨子王は学問と武芸に励み、数年の月日が流れ立派な若者に成長し、ときの帝を苦しめる妖怪を退治し、その功によって陸奥の国守に任ぜられる。
 こうして陸奥の守となった厨子王は任地の陸奥の国に赴く。しかしその途上、安寿を助けるために山椒大夫の元へと足を運ぶが、安寿はすでに亡くなっていることを知る。そして山椒太夫に、奴婢を解放するように命じた後、母を探しに佐渡へ向かい、盲目となった老婆が「安寿恋しや、ホーヤレホー、厨子王恋しや、ホーヤレホー、・・・」歌っているのを聞いて、捜し求めていた母と知り再会するのである。

 この映画で特筆すべきは絵の素晴らしさであり、高名な画家が描いたかのような、まさに大和絵ともよべるような背景の中に、表情豊かな安寿や厨子王が生きているのである。木下忠司(名作「関の弥太っぺ」 の音楽も担当している)による音楽もすばらしく、安寿と厨子王が過酷な運命の中でけなげに生きる様子を美しく忘れがたい旋律によって訴えかけてくる。また出演者を見ればわかるように、この映画の声は名優たちによって演じられており、子供向けのアニメであるが、大人の鑑賞に十分に堪えうる作品となっている。

 このアニメは、森鴎外の原作といくつかの点で異なっている。その一つに、厨子王が最後まで持ち続けた守本尊の地蔵菩薩金像の功徳によって、たとえば盲目となった母の目が開くことなどであるが、こういう仏教説話にも通ずるような話を取り入れてもよかったのではないだろうか。

 この安寿と厨子王は過酷な運命の物語であるのだが、子供向けのアニメーションであるためか、熊や犬等も登場させることによって、その暗さを緩和しているようである。それにしても(”それにしても”という言葉を、このサイトでは頻繁に使っているのだが)、この時代の映画人達の熱意と力量にはただただ敬服するばかりであり、本作品は溝口健二監督による名作『山椒太夫』 と比較してみることもできる作品である。

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