宮本武蔵 第一部 東映(昭和36年:1961)
監督
 内田吐夢

出演
 中村錦之助
 木村功
 三国連太郎
 入江若葉
 丘さとみ
 木暮実千代
 浪花千栄子
 巨匠内田吐夢監督が、中村錦之助を起用して一年に一作づつ五年の歳月をかけて作りあげた宮本武蔵の第一作である。映画は、関が原の戦いに、本位田又八(木村功)とともに西軍として参加した新免武蔵(たけぞう)(中村錦之助)が、敗戦の中、泥の中を這い回っているところから始まる。

 武蔵と又八は、お甲(小暮実千代)とその娘の朱実(丘さとみ)に助けられるが、関が原の闘いで受けた傷も癒えたころ、野武士の辻風典馬が襲って来たためこれを倒すが、その間に又八は、お甲と朱美と共に行方をくらましてしまう。やむを得ず武蔵は、又八がまだ生きていることを又八の母のお杉ばば(浪花千栄子)と又八の許婚のお通(入江若葉)に知らせるために、生まれ故郷の宮本村に戻ってくるが、そこでは関が原の戦いの残党狩りが厳しく行われていた。そして武蔵は残党として山に追われてしまうのである。

 そして武蔵は、たまたま村のお寺に滞在していた沢庵和尚(三國連太郎)に捕まえられ、寺の境内の千年杉に吊りさげられてしまうのである。そして武蔵は、沢庵に次のように諭され、生きたいと願うのだった。

「なぜそれだけの力を身のうちに蓄えようとしなかった。叡智の光に会えず、その紅顔を終えるか。やり直しができないのが人生だ」と。

 その夜、お通が身を挺して武蔵を千年杉から助けだし、二人は山へと逃げる。このとき武蔵は、城下の花田橋での再会を約してお通と分かれて姉を助けに行くが、それもかなわず、沢庵に再び捕らえられ、姫路城の天守閣に万巻の書とともに閉じ込められる。一方お通は、武蔵と約束した花田橋までどうにか辿りつくがそこで行き倒れ、そこの竹細工屋の老夫婦に助けられ、武蔵との再会を待っている。第一作は、第二作目以降への大きな期待を持たせて、ここで終わる。

 この第一部で内田吐夢監督が表現したかったことは、思うに千年杉に吊るされた武蔵と沢庵の会話に籠められているように思われる。二人の会話は何度か繰り返されるが、武蔵の心が次第に変わっていくのが観客にわかってくる。この変化を表現することは、筆者の拙い筆では困難であり、ぜひとも実際の作品を見ていただきたいものである。

 これまでも、宮本武蔵は幾多の名優、例えば片岡千恵蔵、三船敏郎、また高橋英樹等が演じている。三船敏郎が演じ稲垣浩が監督した作品は、1956年のアカデミー外国語映画賞を受賞している。しかし私的には、中村錦之助が演じたこの宮本武蔵は、まさに野生児そのものであり最もすばらしいと思っている。この作品は、他の配役もすばらしく、木村功の又八、三国連太郎の沢庵なども、他に考えられない配役である。お通さんを演じた入江若葉さんは、この作品がデビュー作品のようであるが、演技の拙さがあっても、なぜか他の女優さん(八千草薫さん、松坂慶子さん、など)のお通さんよりもより原作のお通さんらしいのような気がしてしまうのである。沢庵も多くの俳優が演じているが、後に柳生宗矩に与えたとされる『不動智神妙録』を表した沢庵とは、こんな人物であったかとも思ってしまうほどの沢庵を三国連太郎が演じている。

 映像的にも随所にすばらしい場面が展開される。関が原の戦いに負けて泥の中を這い回る武蔵と又八、そこに表れる朱美、お寺の縁側で笛を吹くお通さん、等々優れた場面が多いが、千年杉につるされた武蔵に沢庵が諭す場面も傑出した場面であろう。また、千年杉に吊るされた武蔵の叫びは、沢庵とお通のみならず見ている観客にも響いてくるように思われる。お通さんが千年杉の武蔵を助けに現れる場面は、宵闇の中の千年杉を低い位置から写し、そこにお通が駆け寄ってくるのだが、すばらしい構図である。

 内田吐夢監督は、この作品を5年の歳月をかけて映画化しようとしたが、それは主演の中村錦之助の成長を武蔵の成長にあわせようとしたとのことであり、映画という作品を世に送り出そうとする姿勢からして、現代の作家との相違を感じてしまう。最近の作品としては、NHKが大河ドラマとして2003年に放映した市川新之助主演のMUSASHIがあるが、吉川英治の原作を無視したうえに、演出と演技の酷さ・無残さはいったい何んなのかと思われてしまうのである。

 この第一部で内田吐夢監督が表現したかったことは、思うに千年杉に吊るされた武蔵と沢庵の会話に籠められているように思われる。二人の会話は何度か繰り返されるが、武蔵の心が次第に変わっていくのが観客にわかってくる。この変化を表現することは、筆者の拙い筆では困難であり、ぜひとも実際の作品を見ていただきたいものである。

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