連合艦隊(東宝 1981年)
監督
 松林 宗惠

音楽
 服部克久

出演
 小林圭樹
 丹波哲郎
 鶴田浩二
 高橋幸治
 戦争映画の多くは、たとえば、連合艦隊司令長官・山本五十六、硫黄島の栗林忠道、加藤隼戦闘隊の加藤建夫、日露戦争における日本海海戦の東郷平八郎などの個人を主役とするか、ある戦いそのものをテーマとするものが多いように思われる。しかしこの映画『連合艦隊』は、かつて存在した日本帝国が世界に誇った”連合艦隊”が崩壊していく過程、すなわち日本が三国同盟を締結するときから、戦艦大和が沖縄に水上特攻し、名実ともに連合艦隊が消滅してしまったときまでが描かれている。

 特定の軍人を扱った映画では、どうしてもその人物を英雄的に描くことになることが多いが、本作品は連合艦隊という国家の命運を担った一大組織を描いているため、当時の帝国海軍の作戦が俯瞰的に理解できるるように思われる。そのためこの映画には実に多くの海軍軍人が登場する。どんな人物が登場してくるかは、Wikipediaのキャストを見ればわかるが、以下に少しあげておく。

 山本五十六(小林圭樹)、宇垣纏(高橋幸治)、南雲忠一(金子信雄)、草鹿龍之介(三橋達也)、永野修身(小沢栄太郎)、及川古志郎(藤田進)、小沢治三郎(丹波哲郎)、栗田健男(安部徹)、伊藤整一(鶴田浩二)、有賀幸作(中谷一郎)、等々であり、いずれもよく知られた人物達である

 ところでこの映画の監督・
松林宗恵監督は、海軍第三期兵科予備学生となり(1942頃か?)、1944年に海軍少尉に任官し、南支那の廈門島の陸戦隊長となっている。この軍歴から想像するに、松林宗恵監がこの映画を製作するに当たって、なんらかの想いを持っていたであろうことは想像に難くない。そしてその想いとは、以下のようなものではなかっただろうか。

 ひとつは、かつて自分自身がその一員として所属した日本帝国海軍という一大組織が崩壊し、消滅してしまった根本的な理由、原因を明らかにすること。

 そしてもうひとつは、
この映画に登場する多くの司令官や参謀達に、監督自身がひょっとしたら会っていたかも知れないか、あるいは上官をはじめ多くの軍人から彼らについて様々に聞いていたかもしれないと考えられるため、それぞれの司令官や参謀達の人物像を、可能な限り実際の人物に近く描いておくこと。

 第一の
目的としては、多くの場面が当てはまるような気がするのだが、特に以下のようなシーンが該当するであろう。

 映画の冒頭において、作戦の責任を持つ軍令部と実戦の全責任を負わされていた連合艦隊との方針の相違が示され、結局は山本長官の主張に軍令部が押されて、真珠湾奇襲が実行されるのである。そして、次のミッドウェイ海戦の敗北となるのだが、ここで軍令部の富岡定俊軍令部第一課長(橋本功)に以下のような言葉を言わせている。

 「こうなったのも、軍令部がはじめから山本長官に振り回されていたからです。一発勝負の博打がいつもうまくいく訳がありませんよ。」


 真珠湾奇襲が博打であったとしても、奇襲が成功したので結果良しということはできるが、最大の過ちは、奇襲の三十分前に予定していた、アメリカに対する宣戦布告がアメリカの日本大使館の怠慢により遅れてしまい、結果として”だまし討ち”となり、アメリカ国民に「リメンバー・パール・ハーヴァー」という感情を喚起してしまったことであろう。
 山本長官が、日本海海戦の東郷平八郎のような真の戦略家・戦術家であるなら日本外務省を信頼せず、真珠湾奇襲作戦の腹案を得た時点で、信頼できる部下をあらかじめアメリカの日本大使館に派遣し、奇襲実行前には必ず宣戦布告文書をアメリカに渡すような万全の用意周到さが必要だったのではないだろうか。もちろん歴史を振り返った今だからこそいえることではあるのだが。

 またミッドウェイ海戦においては、連合艦隊の総力を結集した作戦といいながら、空母4隻の南雲機動部隊から数百キロも後方に山本長官が乗る大和を旗艦とする主力部隊を配置し、戦闘指揮を山本長官自らは行っていないのである。もし南雲機動部隊と大和以下の主力部隊が一体となって作戦行動を行っていたら、これほどまでに機動部隊が甚大な被害を受けることはなかったのかもしれない。戦闘においては、戦力の分散は避けるべきことの第一であり、日本海海戦においては、東郷平八郎司令長官は、砲弾飛び交う中で旗艦三笠の艦上で全艦隊の陣頭指揮をしていることを考えると、まことに大きな違いというべきであろう。

 そしてこの作戦での情報管理の杜撰さも描かれている。例えば、軍令部はミッドウェイ島周辺でのアメリカ軍の交信が盛んに行われていることを把握し、それを連合艦隊司令部に報告していた。しかし連合艦隊司令部は、その情報を最前線の機動部隊に伝えていなかったことである。

 また、ミッドウェイ作戦に参加しなかった海軍軍人達が酒を酌み交わしている場面では、芸者に以下のようなことを言わせている。

 『あんたたち、こんなところで飲んでいていいの。・・・アメリカ征伐に海軍さんは、おおかたミッドウェイに出かけているとみんな言うとる・・・』

 このようなシーンが実際にあったとすれば、いかに日本海軍の情報管理が杜撰であったかということの現れであろう。


 この映画ではレイテ沖海戦が描かれているが、有名な「栗田ターン」の原因となったとされる電文の発信元が特定されていない謎についても触れている。このことは、現在でも戦史の謎とされているようであるが、日本海軍の情報の混乱を示しているといえよう。

 そして最期の戦艦大和の沖縄特攻作戦では、もはや作戦とはとても言えないような、ただの精神論だけになってしまった日本海軍の状況を表現しているように思われるのである。


 第二の目的が達せられているかどうかについては、それぞれの役を演ずる俳優に大きく依存することになるのはやむを得ないことであるが、ある程度は達成できているのではないだろうか。この映画においてそれぞれの役を演じた往年の名優たちなくして、この映画の成功はなかったといっても過言でないであろう。

 映画の中で、大和の沖縄への水上特攻を前にして、鹿屋基地の宇垣纏第五航空艦隊司令長官と草鹿龍之介連合艦隊参謀長との間で以下のような会話をさせている。

 草加 これから、大和に出向きます
 宇垣 説得に行くのか。

 草加 自分で確信の持てない作戦を命令として伝えなければならないのは、つらいですな
 宇垣 私も同じ思いだ。 (しばらくの沈黙の後で)特攻機が毎日この基地から飛び立っていく 死んでこい これはもう命令の限界を越えている しかし、戦争が続く限り、私は命じ続けるだろう 死んでこい、と

 草加 あなたとは随分遣り合ってきましたが、もはやお互い船でも飛行機でもなくなりましたな
 宇垣
 連合艦隊を崩壊の危機に追い込んだ責任だけが残ったということだ

  (よく知られているように、宇垣自身も8月15日に最期の特攻として出撃している)
 
 この映画では、連合艦隊に関わる人々として、奈良博物館館長の本郷直樹(森繁久彌)家の人々、海軍兵曹長の小田切武市(財津一郎)、そして瑞鶴の若い少年航空兵中鉢二飛曹(遠藤公一)(松林宗惠監督の実際の部下に、戦傷死した兵に中鉢という兵士がいたとのことである)など登場し、それぞれが連合艦隊の運命に翻弄されていく様が描かれている。

 この映画を観て思うことは、日本帝国海軍という一大組織が、その責任あるトップリーダ達の判断の誤りによって崩壊するということである。この判断の誤りは、結局はトップリーダ達の過信、うぬぼれ、怠慢、油断、傲慢、その他思い当たらないのだが、そんなものに基づいているのであろう。そして、トップリーダー達の誤りによって、多くの人々が犠牲になるのみならず、日本という国家を滅ぼしたのであろう。

 トップリーダー達による誤った判断・決断が組織の崩壊をもたらすということは、いかなる組織にも当てはまることであろう。帝国海軍ではなくとも、今は存在していない多くの企業の崩壊の原因として、この映画が示しているようなトップリーダー達の判断の誤りというものがあったのではないだろうか。それゆえいかなる組織も、連合艦隊と同じ運命をたどらないために、政治家、官僚、経営者、そしてメディアこそが見ておくべき映画なのである。

 いずれにしろこの映画は、かつて海軍軍人であった松林監督が、日本帝国海軍およびそれに翻弄され、海に空に散っていった多くの人々への鎮魂の想いを込めた映画なのであろう。

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