エル・シド 米・コロンビア映画(昭和36年:1961)
監督
 アンソニー・マン

音楽
 ミクロース・ローザ  

出演
 チャールトン・ヘストン
 ソフィア・ローレン
 11世紀、スペインはイスラム教を信ずるムーア人による侵略の危機に晒されていたが、このときスペインを侵略の危機から救った英雄がエル・シドである。エル・シドという名前は、映画の中でも描かれているが本名ではなく、スペインのカスティーリャ王国の貴族ロドリゴに対して、彼に助けられたムーア人の王によって与えられた尊称であり、『真の見識と、情けをかける勇気を持った戦士』という意味である。残念ながらスペイン語を知らないので誤っているかもしれないが、シドとは「主人」という意味であり、エルはスペイン語の定冠詞である(らしい?)。ちなみに、翌1962年に作られアカデミー賞7部門に輝いたデビッド・リーン監督の”アラビアのロレンス”の中でも、アラブ人がロレンスのことを”エル ロレンス”と呼称する場面があり、イスラム教を信ずるアラブの人々にとって、”エル”という定冠詞を冠されることは極めて名誉なことであることがわかる。

 映画エル・シドは3時間を越える大作である。この時代にハリウッドで作られた多くの歴史劇映画がそうであったように、この映画も本編が始まる前のしばらくの間、オーケストラによる壮大な音楽が館内に鳴り響き、観客はこの音楽を聞きながら、これから始まる映画への内容を思い描き、そして期待を膨らますのである。そして映画が始まると、まず最初に以下のようなナレーションによって、映画の背景が説明される。

 −−紀元1080年頃、スペインの国土はキリスト教徒とムーア人の争いで分断されていた。この物語の主人公ロドリゴ・デ・ビバールは、エル・シドとして歴史に名を残した人物である。一介の市民からスペイン最大の英雄となった彼は、宗教の対立を超えて全国民に呼びかけ、母国の侵略をたくらむ敵に立ち向かった。地中海の対岸、北アフリカに軍を集結させた敵の王は、ベン・ユサフであった。−−

 この説明からもわかるように、この映画は”エル・シド”と呼ばれることになった英雄ロドリゴが、スペインをムーア人の侵略から守るために戦いに明け暮れた生涯の物語であるが、この中でロドリゴ(チャールトン・ヘストン)と後にエル・シドの妻となるシメン(ソフィア・ローレン)の愛憎、スペイン王家の王位継承の謀略と争い、それによるロドリゴの追放と放浪、またロドリゴにより助けられたことから彼にエル・シドの称号を贈り忠誠を誓うムーア人の王との友情などが相互に複雑に絡み合いながら描かれている。

 この映画の最大の見せ場は、英雄エル・シド軍によるバレンシアにおける戦いである。ベン・ユーサフはスペイン侵略の足がかりとして、スペイン東部の地中海に面したバレンシアに侵攻しようとするが、エル・シドはそれを阻止するために、ムーア人の王(エル・シドに助けられた王の一人)が治めていたバレンシア城を攻略して奪い、ベン・ユーサフ軍を迎え撃つのである。この映画が作られた時代の多くのハリウッド製の史劇映画がそうであったように、この映画でも夥しい人馬が画面いっぱいにあふれ、映画館の大スクリーンで見たときには圧倒されたことを覚えている。

 ベン・ユーサフ軍がバレンシア城を攻撃してきたとき、エル・シド自らこれを迎え撃つために白馬にまたがり、先頭に立って城から打って出て指揮をとるのだが、乱戦のなかで一本の流れ矢がエル・シドの胸に突き刺さってしまう。城に戻ったエル・シドは、しかし矢を抜くことを拒み、敵の兵力が増大する前に敵を攻撃する必要があると、翌朝再び城から打って出ることを主張するのである。そしてその夜、かつてエル・シドを追放したスペイン王が駆けつける。二人の間に和解と深い主従関係が生まれ、翌朝二人並んで出陣することを誓うのであるが、エル・シドはついにその夜、息を引き取ってしまうのである。
 そして、翌朝遺体となったエル・シドは馬上の人となり、城から打ってでるのであるが、生きているかのようなエル・シドを見たベン・ユーサフ軍は総崩れとなり、遂にスペインの国土から海に押し戻され、追い払われるのである。

 この最後の出撃のシーンにおいて、次のようなナレーションが語られる。

    ”エル・シドは歴史から伝説へと旅立った”

 この言葉の如く、白馬に跨ったエル・シドがどこまでも続く海岸線を走り去るところでこの映画は終わるのである。この映画はキリスト教徒にとってはよく知られた伝説の主人公であるためか、キリスト教徒以外の人間にとっては説明が不足しているような点もあるかもしれないが、私的には結構楽しめ、素直に感動した映画でもある。



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