わが谷は緑なりき アメリカ(1941)(日本公開は1950年)
監督
 ジョン・フォード

撮影
 アーサー・ C・ミラー

[出演]
 ウォルター・ ピジョン
 ドナルド・クリスプ
 ロ ディ・マクドウォール
 モーリン・オハラ
 『わが谷は緑なりき』は、アカデミー監督賞を4回受賞したジョン・フォード監督が、前年の『怒りの葡萄』に 引き続いて監督賞を受賞した珠玉の作品である。ちなみに、監督賞を4回受賞した監督は、ジョン・フォード監督しかいない。

 この映画は、イギリスのウェールズ地方の炭鉱に働くモーガン家の物語である。そのモーガン家の末っ子ヒューが以下のよう な回想をする場面か始まる。

 母のショールに荷物を包み 私は谷を離れようとしている
 二度と戻ることはない 50年間の思い出が眠る谷
 思い出 最近のことは忘れてしまうのに 遠い過去の人々の記憶は なぜか消えない
 時の流れは不思議だ 耳に声だけ残し 友が死んだとは思えない
 いいや それは死ではない 友は記憶に生きている
 ・・・・

 モーガン家は、父ギルムと母ベスの他に、6人の男兄弟と長女から構成される大家族である。ヒューが子供の頃、谷はまだ美 しい緑 に覆われていた。モーガン家の男たちは、末っ子のヒューを除き全員炭坑夫であり、炭鉱夫であることを誇りにしていた。 そして父親のギルム(ド ナルド・クリスプ)は、まだ19世紀の父親の威厳というものを残していたのである。

  このモーガン家では、炭鉱での採掘作業を終えて家に帰ると、その日の稼ぎを母に渡し、体を洗って炭塵を落とし、一家揃って食卓に つく。そんな平和な日々が繰り返されていた。そして長男が結婚するが、それは教会の新任の牧師グリュフィード(ウォ ルター・ピジョン)と長女アンハード(モーリン・オハラ) との出会 いでもあった。

  しかし、このような平穏な日々にも次第に不況の暗い影がさし始めていた。失業者が増え、安い労働力が使えるようになってき た会社が、賃金の引き下げに踏み切ったのである。将来のさらなる引き下げを懸念した息子たちは組合を作ろうとし、それに反対した父親と対立し、そして息子 達は家を出てしまう。

 や がてストとなり、ストに反対した父は仲間たちから疎んぜられ、家に石を投げつけられる事態になる。その夜の吹雪の中の集会に出かけた母ベスは、夫を非難す る 連中に対して、「皆 卑怯だ ・・・ 主人に何かしたら私が承知しないよ」と言い放つ。しかし、その帰りにベスは凍った池に落ち、助け ようとしたヒューも重い凍傷になってしまうのだった。

 しかし春になり、母のベスが健康を回復すると多くの坑夫達がお祝いに駆けつけたばかりか、家出した子供達もモーガン家に 戻ってくるのだった。そして喜び溢れる パーティが行わたが、そこて牧師のグリフィードが組合を作ることを勧めるのだった。そして長引いたストも解決し、一家に平和が戻ったかに見えたが、石炭産 業の不況はさらに深刻となり、職に溢れるものが出てくる。そして、ついに二人の子供達が、新しい仕事を求めてアメリカに渡るのだった。

 こんな状況の中でヒューは、グリュフィー ド牧師の献身的な愛情によって再び歩けるようになり、またグリュフィードとアンハードもお互いに深く愛するようになっていた。しかし、炭坑主の息子が唐突にアンハードに結婚を申し込んできたため、牧師として生きることを決意していた グリュフィードは、アンハードの幸福を願って身を引いてしまうのであった。

 一方ヒュー は、グリュフィードの勧めでモーガン家として初めて学校へ通うようになる。しかし隣町の学校では教師もクラスメイトもヒューを炭坑夫の息子としてバカにす るのであった。そして、長男が炭坑事故でなくなってしまうというさらなる不幸がモーガン家を襲うのである。やがて、ヒューは学校を主席で卒業するものの大 学への進学を諦め、炭坑で働くことにするのであった。

 石炭産業は、ますます厳しい状況になり、残っていた二人の兄たちも解雇され、新天地を求めて谷を去ってい く。そして、ケープタウンに行っていた姉のアンハードが一人で炭坑主の屋敷に帰ってきたため、グリュフィード牧師と の心ない噂をたてられる。人々の偽善に傷ついたグリュフィード牧師は谷から去る決意をするのだが、まさにその時、落盤事故を報せるサイレンが鳴り響 く。炭坑から戻らない父を案じて、ヒューとグリュフィードらは坑道へ入って、必死で父を捜すのだが、遂に父も帰らぬ人となってしまうのであった。
 この映画は、 石炭産業に従事し炭坑夫としての誇りを持って生きたモーガン家の人々が、石炭産業の衰退という変化を受けて炭坑夫としての職を失ったり、落盤等の事故 により長男や父を失いながらも、豊かな家族愛と人間としての誇りを失わず、懸命に生きようとする姿を描いた心打つ秀作である。
 冒頭、ヒューが父親ギルム・モーガンを回想して、「私は子供のころすべてを父に学んだ 間違いやムダな教えはなく ・・」ということを述べているが、こ の言葉に示されたような父親への敬愛と誇りが、この家族の有り様を物語っているのであろう。ヒューが学校に行って、クラスメートから虐められ喧嘩に負けて 帰ってきたとき、母親が止めるのも聞か ず父親ギルムは「男なら戦う!」と言い放つ。なかなか出来ることではないが、父親ならかくあるべしと思うのである。

  この映画の日本公開は1950年であり、翌年の『麦秋』に影響を与えたのではないかと思える言葉がある。それは、冒頭の「最近のことは忘れてしまうのに  遠い過去の人々の記憶は なぜか消えない」という言葉であり、麦秋では少し変えて同様なセリフが使われている。この言葉は、人間の真実の一面を表現してい る言葉でもあるので、必ずしも麦秋が影響を受けたということではないのかもしれないが、このような名言というものは、素晴らし映像とともにいつまでも心に残るものである。

 ところで、この映画の撮影中に、長男に嫁いできた妻であるブローウィン役のアンナ・リー が、実は妊娠していていたため、階段から転げ落ちるシーンの撮影 が原因で流産してしまった。ジョン・フォード監督は、後にこの事実を知り、死ぬまで自分を責め続けたということであるが、このことはジョン・フォード監督 が 尊敬に値する人間性を有しており、それ故にこの映画をはじめとするフォード監督のすべての映画に高 い品格を与 えているように思われてしまうのである。

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