太陽がいっぱい フランスとイタリア合作(1960)
監督
 ルネ・クレマン

音楽
 ニーノ・ロータ

[出演]
 アラン・ドロン
 モーリス・ロネ
 マリー・ラフォレ
 映画『太陽がいっぱい』は、『禁じられた遊び』等で知られているフランスの名匠ルネクレマンが、無名ともいえる若きアラン・ドロンを主役に抜擢して作ったサスペンス映画の傑作であり、ニーノ・ロータによる哀愁を湛えたテーマ曲と共に、はじめて映画館のスクリーンで見てから忘れがたい映画の一つとなっている。
 
 映画の舞台は、まさに”太陽がいっぱい”の言葉通りに陽光溢れる地中海である。ローマの町で、フィリップ(モーリス・ロネ)とトム・リプレー(アラン・ドロン)が悪戯をしながら遊んでいた。フィリップは、ロサンゼルスに住んでいる富豪の息子で、仕事もせずに親の金で気ままな生活をしており、一方のリプレーは貧しい階層の出身で、このフィリップの父親から、フィリップをロスに連れ戻すように、5000ドル(50年ほど前の映画なので、現在の価値はかなりのものであろう)の報奨金で依頼されて来たのである。

 フィリップには美しい恋人のマルジュ(マリー・ラフォレ)がおり、そのためフィリップは、マルジュを残してアメリカに帰る気は全くなく、またリプレーが5000ドルのお金を得ようとしていることを知っているが故に、あたかも自分の召使のようにリプレーを扱うだけでなく、三人でヨットで遊びに出たときなどは、マルジュとの仲をリプレーに見せつけるのであった。

 こうした状況の中で、リプレーは次第にフィリップに対する憎悪を募らせてゆくのである。そして、フィリップの富の全てを奪い、さらにマルジュの愛も得ようとして周到に犯罪を計画する。まず、マルジュに対するフィリップの愛が真実のものではないのではないか、という疑念をマルジュに抱かせることを画策する。そして、これが見事に功を奏し、フィリップに怒ったマルジュはヨットから降りてしまうのである。

 マルジュが去ったヨットには、リプレーとフィリップの二人が残される。フィリップは、リプレーの策略にうすうす気づいてはいるのだが、それでもまだ完全にリプレーに対して警戒してはいなかった。そしてついに、フィリップが見せた一瞬のスキを狙って、リプレーはナイフでフィリップを殺害してしまうのである。

 フィリップを殺したリプレーがやるべきことは、綿密に練り上げた計画をやり遂げることであった。その計画とは、フィリップになりすましてフィリップの財産を奪い、フィリップがどこかで生きているばかりでなく、マルジュに対するフィリップの愛が覚めてしまったとマルジュに思わせることであった。

 そしてこの計画を実現するために、リプレーは、フィリップのサインを真似し、パスポートや銀行のサインを偽造したりする。そして自分がフィリップになりすましていることが、フィリップの友人フレディに発覚されそうになると、フレディをもさらに殺害してしまうのであった。こうした犯行を重ねながらも、リプレーの計画は着実に進み、フィリップの遺産を奪い、そしてマルジュの愛をも獲得し、遂にリプレーが自分の目的を実現したかに思われたのだが、……。

 以上が、映画史に残るサスペンス映画の傑作『太陽がいっぱい』の概要である。

 この映画『太陽がいっぱい』は、アラン・ドロンやマリー・ラフォレの魅力もさることながら、そのストーリー展開がすばらしく、最後のシーンを観客の誰が想像し得たであろうか。

 全てを手に入れたかに思えたアラン・ドロン演ずるリプレーが、燦燦たる陽光が降り注ぐ砂浜で足を投げ出して満足げにサンデッキに休んでいると、海辺のレストランの女主人に「ご気分は?」と尋ねられるのだが、それに対して”太陽がいっぱいだ!”と答える。
 そしてこのシーンにかぶさる様に、あのニーノ・ロータによる名曲が流れてくるのだが、このシーンは、時を同じくして進んでいたマルジュによって売却されるために引き上げられたフィリップのヨットの船名がマルジュ(MARZE)であったということが判明するシーン(あたかも、殺されたフィリップが、”マルジュ”と呼んでいるように思われさえする!)と共に、多くの観客にとってたぶん忘れがたいものとなるであろう。


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