[監督]
スタンリー・ドーネン
[音楽]
ヘンリー・マンシーニ
[出演]
オードリー・ヘップバーン
アルバート・フィーニー
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映画の感想が人によって大きく異なることは当然であるが、特にこの映画は、その人の環境・状況によって大きく異なるように思われる。
この映画は映画館で見ているが、足を運んだのはオードリー・ヘップバーン主演の映画であったこと、そして『いつも二人で』というなんとなくロマンティックな題名のためだったのであろう。しかし映画は期待した映画とはまったく異なり、結婚して十数年、今は子供までいる夫婦(夫マークを演じたのはアルバート・フィーニー)の話であり、あろうことかオードリーが演ずるジョアンナは不倫までしてしまうという、若かった当時としては相当に衝撃的な内容であった。
映画の冒頭から、車で通りかかった結婚式の新郎・新婦を見て、ジョアンナとマークの間でこんな会話が交わされる。
ジョアンナ 「暗いわね」
マーク 「新婚なら幸せさ」
しかしそれぞれの夫婦、つまりジョアンナとマーク、そして新婚の夫婦に幸せそうな表情はない。そして飛行機のシーンに続き、以下のような会話が続く。
(ジョアンナがこの旅に対する不平を口にした後、・・)
マーク 「失業してもいいのか、集中攻撃はよせ」
ジョアンナ 「別になにも」
マーク 「消音器をつけて打ちまくってる」
(ジョアンナは、ピストルを撃つまねをする)
マーク 「いいかげん うんざりだ」
これらの二人の会話から、この夫婦の現在の状況が極めて深刻な状況にあることが理解される。そして飛行機からフェリーが見えてくるであるが、ジョアンナとマークが初めて出会った場所こそフェリーだったのである。そして、夫婦間の転機になったと思われるような幾つかの自動車の旅の回想シーンが現在の進行に重なっていく。それは、いつ頃から、何が原因で夫婦間がこのような状況になってしまったのかを解明することなのである。
自動車の旅は様々である。例えば結婚したばかりの頃の中古のMGの旅であり、マークがアメリカ留学中に知り合った女性と、その女の旦那と子供と一緒の旅であり、またジョアンナとマークに子供が出来てからの仕事をしながらの家族旅行等である。これらの様々な自動車の旅が重層的に示されるのだが、これらの旅の様々な場面によって、少なくとも愛し合って結婚したはずの夫婦というものが如何にして相互に心が離れ離れになっていくかということが分かるような気がするのである。
結婚というものがいかなるものか知らない時にこの映画をみれば、夫婦というものが次第に破綻していくものだということを知ることになるし、結婚して何とか長い年月を経た夫婦は、まさに自分たちの姿をジョアンナとマークに重ね合わせることができるかも知れない。
最初のフェリーでの出会いを回想するシーンでは、こんな会話が二人の間でなされる。
ジョアンナ 「出会ったのが不幸の始まり? こうなると分かっていたらね」
マーク 「まったくだ」
また、中古のGMを購入しての旅を回想しながらのシーンでは、以下のような会話が交わされる。
ジョアンナ 「いつからダメに? MGで始めてけんかした時?」
マーク 「あの旅は楽しかった」
ジョアンナ 「そうね 幸せだった」
そう、確かにジョアンナとマークは愛し合って結婚したのであり、そのことに間違いはなかったはずである。しかし、人生とは二人だけの単なる生活ではなく、何もしなくてよいわけではない。少なくとも男は家や家族を守るために仕事をしなければならないのだが、そのことこそが、すなわち”生活していく”ということこそが、この夫婦の間に次第に亀裂を、溝を作っていったのであろう。
映画は、この二人の何度かの自動車の旅を、あたかも思い出のアルバムをめくるように行ったり来たりしながら、この夫婦の間がどうしようもなくなっていった原因を探り出そうとしているようでもある。そして実際に言葉に出すかどうかは別にして多くの夫婦が、アルバムを眺めながら上記のような会話を心の中でしているのかもしれないと思ってしまうのである。
またこの映画は、何度かの夫婦の危機を乗り越える要素として、いわゆる”夫婦間の性”というものがあることを明確には表現しないのだが暗示しているようにも思われるのだ。例えば子供のことが原因で喧嘩し、いまにも別れるかのような話になるのだが、映画ではその後で二人の間にいわゆる”営み”があったことを示すシーン(オードリー・ヘップバーン以外の女優であればもう少し直接的に表現したのかもしれないが)とオードリーの複雑な表情を映し出している。
しかしそれにもかかわらず二人の亀裂が大きくなったとき、ついにジョアンナは不倫へと走ってしまうのである。だがマークとジョアンナは結局は愛を取り戻したかのようにしてこの映画は終わる。しかし、この取り戻したように思われる愛ですら、この先も長続きするのだろうかという思いは残ってしまうのである。
いずれにしろ、人生の様々な時にこの映画を見れば、自分の、あるいは自分たち夫婦のことを振り返り考えることになるであろう。そして少なくない夫婦が、『出会ったのが不幸の始まり? こうなると分かっていたらね』という台詞を言葉にしてしまうのかもしれないように思われるである。もちろんこのような言葉を考えもしない夫婦であれば、それは幸せな夫婦というべきであろう。
名匠スタンリードーネンの演出はまことに軽妙でありながら自由自在であり、人生とは、あるいは夫婦とはこんなものかも知れないと見る者に思わせる、ヘンリー・マンシーニの哀感漂う音楽とともにしみじみと心に残る映画なのである。
以下に他の方の感想があります。



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