波止場 アメリカ(1954)
監督
 エリア・カザ ン

音楽
 レナード・バーンスタイン

出演
 マーロン・ブランド
 カール・マルデン
 エヴァー・マリー・セイント
 リー・J・コッブ
 ロッド・スタイガー
  この映画『波止場』(原題は、"On theWaterfront"なので少し異なる)は、不正と暴力に対して、逡巡しながらも、勇気を振るい起こして立ち向かっていく若者の物語であり、アカデミー 賞の作品、監督、脚本、主演男優、助演女優など、計8部門を受賞した、巨匠エリア・カザンの名作である。

  アメリカの最大の港、ニューヨーク港の港湾労働者達は、酒場を経営しているジョニー・フレンドリイ(リー・J・コッブ)とその手下達の暴力によって支配され、組合も牛耳られ、不法に仕事を仕切られていた。このジョニーの手下の中に、元プロボクサーのテリー(マー ロン・ブランド)がいた。ある夜、ジョニーの命令で、テリー が友人のジョーイをアパートの屋上に呼び出したのだが、何者かによって屋上から突き落とされて殺されてしまう。ジョーイは、法廷でジョニーの不正を証 言しようとしていたのである。

 港湾労働者達は、ジョーイを殺したのがジョニーであると疑ってはいるのだが、ジョニーの暴力を恐れ、警察に真実を話そうとはしないのであった。このよう なジョニーの不正が野放しにされている状況に対して、バリー神父(カー ル・マルデン)と殺されたジョーイの妹イディ(エヴァー・マ リー・セイント)とが立ち上がる。

  バリー神父は、労働者達に教会に集まるように呼びかける。そして教会に集った労働者達に神父は、ジョニーの不正に対抗するためにはジョーイを殺した犯人を 摘発することだと訴えるのだった。しかし、労働者達が教会に集まったことを知ったジョニーが、手下を使って教会を襲撃させた。そしてこ の集まりに参加しいたイディは、やはり集会に来ていたテリーによって危ないところを救われるのである。これを機会に、二人は少しずつ相互に理解し、そして 愛し合うようになる。

  バリー神父の訴えにより、デューガンという労働者がジョニーの不正を証言することを決心するが、デューガンもまた事故を装って殺されてしまう。こうした ジョニーの卑劣な行為に対して、デューガンの事故現場に駆けつけたバリー神父はテリー達 に 再び訴えるのであった。そしてついにテリーは公聴会で証言に立つことを決意するのである。

 このテ リーに対してジョニーは、やはりジョニーの手下となっているテリーの兄チャーリーを使って、何もしゃべるなと脅しをかけさせる。しかし、テリーがその脅し に屈 しなかったため、チャーリーは殺され、テリーとイディも共に身の危険にさらされる。兄チャーリーの死に怒ったテリーは、仇を討とうとしてジョニーの経営す る酒 場に乗り込むが、そこに駆けつけたバリー神父によって法廷で戦うべきだと諭されるのだった。

  そしてついにテリーは、法廷においてジョニー一味の犯罪について証言する。しかしこのテリーの行為は、何故か労働者仲間から反発され、ジョニーから は波止場の仕事を干されるという嫌がらせをうける。怒ったテリーは、ジョニー達の事務所に向かい、ジョニーを打ちのめすが、自分自身も手下達に半殺しにさ れてしまうのであった。そして、このテリーの行動に勇気付けられた労働者達は、ついにジョニーに反旗を翻すのだった。

  以上が、『波止場』の大よそのストーリーである。この映画の主人公は、若きマーロン・ブランドが演ずるテリーであるが、カール・マルデン演ずるバリー神父 も極めて重要な役どころであり、社会の不正に敢然と立ち向かう姿は素晴らしい。例えば、デューガンが殺された場面では以下のように述べるのである。

 「私は約束を守る もし彼が不正と闘うなら 私も共に闘うと誓ったのだ ……」

  「十字架のはりつけはキリストだけではない … ジョーイが証言を封じられたのも デューガンが証言をする前日に殺されたのも 市民の義務を果たそうとする人が殺される時 それは十字架だ その不正を知りながらも 黙って見過ごしている者は キリストに槍を刺したローマ兵と同罪なのだ ……」と。

  キリスト教徒ではない筆者(仏教徒であるとも言い難いが)には、このバリー神父の言葉の重みを、幼い頃から聖書に親しみ、キリストが十字架にはりつけにさ れたことの意味を教えられてきた人々ほどに理解できていないであろう。しかしそれでも、このバリー神父の言葉には心動かされるのである。そしてこのバ リー 神父の言葉は、テリーの心に訴え、テリーを動かしていくのである。

  テリーは、誰もがチャンピオンになれると認める才能を持つほどのプロボクサーだった。しかし八百長試合、それも兄のチャーリーの指示による八百長試合で負 けたこ とによって、自分の輝かしいはずだった将来を失い、そしてそれ故に、今はジョニーの手下のような生活を送っている。しかしまだ良心を失っていないテリー は、バリー神父の上記の言葉によって目覚めていくのである。

  多くの人々にとって、暴力を背景とする不正に立ち向かうには相当な勇気が必要であろう。ジョニーを演じたリー・J・コッブは、『12人の怒れる男』におい ても印象深い役を演じているが、この映画でも、こんな人間に立ち向かうのは無謀とさえ思われるような強烈な悪役を演じている。それゆえ実際にこのジョニー のよ うな不正に我々が直面した場合、この映画に描かれているような多くの港湾労働者のように、そして年齢を重ねれば重ねるほどに、立ち向かうことが出来ないよ うな気がするのである。しかし、少な くともこの映画 は、我々観客にテリーのようにありたいと思わせてくれるのである。

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