風とライオン アメリカ(1975)
監督
 ジョン・ミリアス

出演
 ショーン・コ ネリー
 キャンデス・バーゲン
 ブライアン・キース
 この映 画『風 とライオン』は、20世紀始めのころのモロッコを舞台としている。そのころのモロッコは、ドイツ、フランス等の列強が武力をもって進出していたが、モロッ コのサルタンはこれに対して成すすべもなかった。こうした列国の横暴に抵抗しようとする一人の男がいた。リフ族の首長ライズリ(ショーン・コネリー)である。この映画は、このラ イズリと、時のアメリカ大統領ルーズベルト(ブライアン・キース)との戦い(駆け引き)を描いた映画である。

 1904 年10月15日、ライズリは、モロッコのタンジールを襲って、ペデカリス婦人(キャンディス・バーゲン)、長男のウィリアムと娘のジェニファーを誘拐す る。これに対抗して、ルーズベルトは、「ペデカリスの命か、ライズリの死か」として、大西洋艦隊をモロッコに派遣してサルタンを捕虜にしてしまう。そし て、ルーズベルトは、ペデカリス夫人と子供たちを返す代わりに、”スペイン金貨7万枚、リフからの外国兵の撤退、他”を提示してくる。

 この提 案が罠かも知れないと思いながらも、ライズリは、ルーズベルトの取引きに応ずることを決断し、ペデカリス母子を送り届けるために約束の場所に出発する。そ してそこで、ペデカリス母子をアメリカ軍のジェローム大尉率いる部隊に送り届けるのだが、ライズリはドイツとフランスの軍隊に捕えられてしまう。しかし翌 朝、ペデカリス母子はアメカリ兵の協力を得てライズリを救出するのだが、まさにそのとき、村の外に待機していたライズリの部下たちが攻め込んで きたのである。こうして、ライズリ救出はされ、ペデカリス母子を残して去っていくのである。

 後日、 ルーズベルトのもとに、ライズリから手紙が届く。その手紙には、以下のように記されていたのである。

  貴殿は 風のごとし、余はライオンのごとし。
  貴殿は嵐を呼び 余を惑わし 大地を焼けり
  余の抵抗の叫びも貴殿には届かず
  されど共に相違あり 余はライオンのごとく住みかにとどまり
  貴殿は風のごとく とどまることなし

 映画の楽しみ方にはいろいろあるが、その中の一つは、自分自身では決して望めない主人公達の英雄的な生き様に、たとえ鑑賞している時のわずかな時間であ れ自分を仮託して、仮想の経験をすることができることであろう。そのためには、映画の英雄達が(美化されているかもしれないが)真の英雄であればあるほ ど、すばらしい映画体験というものになるのであろう。なおこのような願望は、年齢と共に衰えるものかも知れないが、思っていた以上に低下するものではない ようである。

 この映画では、ライズリとルーズベルトが直接出会い、対決することはないが、奇妙なことに、二人の間には互いを尊敬し、信頼し合う友情とでもいうようなものが芽生 えるのである。ライズリは、罠かも知れないと思いながらも、ルーズベルトを信じてペデカリス母子を送り届けに行く。一方ルーズベルトは、自分の娘に「敵の なかにも友人以上に立派な人物が存在し得るのだ 人は皆 大成への道を歩む時 偉大な人々の歩んだ道が暗くて孤独だと知る 導いてくれる先輩は敵かも知れ ない だが貴い敵だ」と諭すのである。
 
 またペデカリス婦人とライズリの間には、仄かなというよりは、深い愛情が芽生え、二人の子供たちも次第にライズリを好きになり、尊敬するようになって行くのだが、こ れらの感情表現もまた見事である。そして、このような背景があればこそ、最後にペデカリス母子が危険を顧みずライズリを救出する行動に出ることも自然に納 得できるのである。
 ところで、監督のジョン・ミリアスは、黒澤明監督の信奉者として知られているが、この映画でも黒澤作品へのオマージュと思われる場面が散見されるが、それらを 探して見るのも映画の楽しみ方のひとつであろう。

 映画の最後で、たぶんライズリの救出を指揮した首長とライズリが、夕日を背にして次のような話をする。

  首長 「ライズリよ 我々は全て失った 風と共に消え去った すべてをうしなった!」
  ライズリ 「人生に一度はあるはずだ すべてを賭ける時が」
  二人 「ハッ ハッ ハッ ハッ ハッ ・・・」

 人生において、すべてを賭けるときが一度もなかった小生のような平凡な人間も、この映画で、何かを賭けたような気がしてしまうのである。

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